惑ばかりかけているようで、いやになってしまいましたの……」
六
人の往来《ゆきき》は少く、ただ自動車の激しく走り過ぎる広い通りに添うて、どこまでも歩きながら、前川の沈黙は、無気味なくらい続いた。
ふとした出来心だとか、物の拍子で、新子に「酒場《バー》」を出させたのではなかった。
新子に会っていさえすれば、何ということなしに心豊かに、新しい希望の湧き立つような、喜悦を感じるからだ。
しかし、前川は穏健主義の紳士で、周囲を毀《う》ち破ってまで、新子との交情を深める考えはなかった。
綾子夫人の眼から、そっとかくれて、静かな、足るを知る幸福に甘んじて暮して行こうと思っていたのに、綾子夫人はこうした、慎しく隠されたる花園にまで、踏み入って来て、新子をそこから追い出そうとしているのである。
新子が感じているように、この関係は不自然に違いない、しかしそれかと云って、新子との交渉を絶ってしまうくらいなら、自分の位置や名誉はおろか、自分自身さえ、何か要らない無用のもののように、感じられて来る前川だった。
(お別れした方がいい)と云っている新子にも、何となくそぐわない一時的
前へ
次へ
全429ページ中424ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング