した後、このほど思い切って、好きなヴァイオリンの試験《テスト》を受けて、新音楽協会の練習所員となった。
 初給は四十五円。教師のときよりも、ズーッとわるかった。新子に結婚の申込などする勇気はいよいよなくなった。しかし、公演もあり、放送もあり、技を磨くには絶好の職業であった。芸術家としてのかれの人生の曙光《しょこう》は見えた。
 新子には、職業替えをしたについて、すぐ手紙を出した。新子からの返事の中に、
 練習所の方が気分がよろしいとのこと、結構ですわ。でも、月給は安いんでしょう、貴君《あなた》は、自尊心がありすぎるから、蔭ながら心配していますわ。でも、生活の問題なんて、芸術家の貴君には、下らないことなんでしょう。……私は、この頃だんだん愛嬌者になって行きますわ。……
 というような言葉があった。
 かれは考えさせられたり、何だか腹が立ったりして、そのままになっていた。

        三

 新子は、彼女の愛人のことについてなど、一切妹に喋らなかったから、美和子は、彼が先生を廃《よ》したのを知らなかったのである。だから、新音楽協会の人といわれて、まごついたのである。
 それに、美和子
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