いられるのではないかと不安だった……。
最後の電鳴のはげしさに、思わずすがりついた新子を掻き抱くと、どちらからともなく、唇を合わせてしまった楽しい秘密も……。
準之助氏は、身体全体が、カッと熱くなって、いそいで己れの部屋へはいると、扉《ドア》を立ててしまった。
新子が濡れた足袋《たび》を脱ぐと、十の指は、爪まで色を失って、冷たく、凍えていた。手の指も、ハッと呼吸《いき》を吹きかけないと、自由にならないほど、冷え切っていた。高原の夕立は、都会のそれとは違って猛烈で、雨が冷たかった。準之助氏より、十分ほど早く帰って来た新子は、和服でもありかなりひどく濡れてしまっていた。
女中達に騒がれるのを厭《いと》って、コソコソと自分の部屋へ上って来たのだけれど、いくら注意して歩いても廊下に、雫《しずく》の落ちるほどあさましく濡れた我身であった。
手早く、銘仙の着物に着換え、帯もシャンと締直し、髪も手がるに束《つか》ねなおし、気を落ちつけるように机の前に、坐った。
途端に、聞き馴れたスキーパの独唱が、夫人の部屋から聞えて来た。新子の好きな、そして美沢も愛好している「グラナダ」という、古い
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