柄な男だった。
熊手にした指で、ふさふさ落ちかかって来る髪の毛を、しきりと後《うしろ》へ高く掻きあげながら、眼の玉をくるりとむき、唇をとがらせて、
「これじゃ我々自身が『落伍者の群』になりそうじゃ。衣裳代をかけすぎましたな。もっと筒井を頼りにしていたんだが、あれが三、四百円は切符を売るといっていたんだが、『第二の亡霊』だけじゃ厭じゃというて、逃げ出してしまうなんて、あまり万事筋書通り過ぎるですなあ。」
「………」
「この分じゃ、五日間はムリですな。第一、小屋代の工面が、つかんですな。」
圭子は、舞台の上の「彼女」のような気持になって、
「初めての公演なんですもの。いよいよ困れば、私何とかしたいと思いますの。」
女の一本気から、かえって落着いた度胸を見せて、じっと小池を見つめながらいった。
二
「いや、貴女《あなた》だけに、心配をかける訳には行かないし、それに、毎日二百円はかかりますよ。切符代なんて、てんで集まらないし……僕は、すっかり憂鬱になりますな。」溜息を吐くと、小池は卓子《テーブル》の上に肘をついて、圭子を見た。
「初めての試みなんですから、誰の責任でもございませんもの。私、出来るだけ、お金作りますわ。」
「貴女の『彼女』は予想以上の成功ですし、中途でなんか止《よ》したくないだろうな。さっき、久能さんが、賞めていましたよ。」
「まあ! 久能さんも、見物にいらしっていたんですの。」
「ええ。あの人は新劇には、今でも熱心ですよ。」久能というのは老劇作家で、新劇団の先輩であった。
「私《わたし》明日は、十三場の幕切《まくぎれ》を、気をつけてやってみたいと思いますの。あすこ、今日は少し失敗だったと思いますの。」と、圭子は、若々しい身体の肺の豊かさを思わせるような、吐息まじりに、顔を輝かせた。
小池は、肘を起して、今度は足を張って、椅子を反りかえらせた。
「しかし、人生においても、演劇においても、先立つものは金ですな。」小池は、圭子の顔をじっと見て苦笑した。
第三者が、冷静に観ていると、小池には、深いずるさ[#「ずるさ」に傍点]ではないが、毒のないずるさ[#「ずるさ」に傍点]があり、圭子の家に、相当の小金があると察し、また金離れのよい圭子の性格を、それと悟って、わざと持ちかけている愚痴のようにもきこえたであろう。
「お金のこと、ほんとうに私、どうにか致しますわ。」
「それは、一番良いことのようで、一番悪いことですよ。」
「なぜですの。」
「それは、貴女独りに、あらゆる負担を転嫁することですもの。」
「だって、私が自発的にやるんですから、いいじゃありませんか。私、舞台に出てみて、初めて自分の生きる道が分ったような気がしますの。」
「なるほど、貴女は情熱家だ。そうした気持で『彼女』をやるんだから、成功するはずですな。しかし、貴女にムリをさせて、僕達が傍観するわけには行きませんからな。」
「先生。大丈夫だと申し上げましたのに。私、母に話せばどうにかなると思いますの。」
学問はあっても少うしお調子ものの圭子は、頼まれもせぬのに、つまらない役を買って出ているのだった。
「そうですか。それでは、一つお願いするかな、これこの通り……」小池は、卓子《テーブル》の上に、蛙が両手を張ったような形に、両肘を延ばすと、頭をつけて低頭してみせた。
「いやですわ、先生。そんなことをなすって、おほほほほほ。」
小池はなかなか頭を上げなかった。圭子は笑いながら手を延ばすと、小池の頭を両手ではさんで持ち上げた。
三
圭子の母は、長女が芝居の研究会にはいっていることは知っていたが、まさか舞台に出るまで深入りしているとは、知らなかった。
今日は、この三、四日、研究会の集まりで、非常に遅くなるといって、出かけて行った。
だから、十一時までは気に止めなかったけれど、その頃美和子が帰って来て、
「お姉さまは、今晩もきっと遅いわ、でも、お母さん心配しないでいいのよ、お姉さま、とても素敵なお仕事をしていらっしゃるんだから……」と、母親をからかうようにいって、二階の寝床へ上ってしまった。
妹が帰った後、一時近くになっても、姉は帰って来なかった。母はいても立ってもいられない気持になった。
いっそ、美和子を起して、様子を訊こうかと、二階へ上りかけたとき、路次の入口で、自動車が止り、走り込んで来る靴音がした。
こっちも走り出て、玄関を開けると、
「ああ、疲れちゃった。お母さん、まだ起きていらしったの。寝ておしまいになれば、よかったのに……」と、圭子の顔は、口惜《くや》しいほどのんきだった。
「まあ! お前が帰るまでは寝られますか。何時だと思うの……」と、母親らしい叱責の言葉に、圭子は応《こた》えもせず、
「眠いわ。」と、
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