れたが、新子の胸の重い澱みは、どうすることも出来なかった。
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案内者
一
断髪が散らないように、手拭でキッと鉢巻をして、化粧をしている美和子の肌は、真珠色に輝いている。
「何だ! 朝湯に行って来たの。じゃ、美和ちゃん、一日だけの我慢で、今日はまた、新子ちゃんとこのお手伝いするつもり?」
「ううん。」
圭子に訊ねられて、美和子は眼に奇妙な色を浮べて、生意気な笑い方をして、首を振った。
「じゃ、どっか外《よそ》へ出かけるの?」
「ううん。」
「じゃ、どうしてそんなに、お洒落《しゃれ》するの。」
「別に、当《あて》はないの。でも、街を歩いていて、さる人に会った時、相手を少し口惜《くや》しがらせるお化粧するの。振られちゃった女の化粧ってのよ。これは……」
「何を云ってるのよ。」
圭子には、美和子の心理なぞ、少しも分らない。美和子は、真面目な表情で、鏡の中の己《おのれ》に、ジッと見入りながら、反り返っているまつ[#「まつ」に傍点]毛の一本一本に、メーヴェリンを塗っている。刷毛《はけ》でつけた頬紅を、脱脂綿でまたほのぼのとふきとり、上唇の濃いルージュを、下唇に移して、油性のクリームで光らせる。圭子も惹《ひ》きつけられて、鏡の中の美和子の顔を、まんじりともせず、眺めている。
やがて、アルコールで温めたこて[#「こて」に傍点]を取り上げて、額ぎわの髪の毛は、すだれのように、カールして、
「どう……クローデット・コルベールのクレオパトラみたいじゃない? 綺麗! 綺麗!」と、独りで悦に入り始めた。
「どうかと思うわ。せいぜい少女歌劇のクレオパトラくらいだわ。あんたのようなのを、ベビー・エロというのかしら。」
「ううん。この頃は、チビ・エロというんだって? でも綺麗なことは、お姉さんだって認めるでしょう。」
「あんたが、うぬぼれなければねえ。でも、あんたのようなお化粧は、お化粧の範囲《カテゴリイ》を通り越しているわ。化粧《ばけしょう》だわ。」
「だって、ネオン・サインの街を歩くのには、私のようなお化粧でなければ、刺戟がないって! この間、雑誌に出ていたわ。」
「ねえ、どこも、出かける当《あて》がないんなら、私の方へお手伝いに来ない? でも、私は新子ちゃんじゃないんだから、お給金なんか上げないわよ。」
「ええ、行って上げようか。私今日から毎日一度ずつ、銀座を歩くことにしたの。だから、ちょうどいいわ。私、銀座で会ったら、示威《デモ》をしてやりたい人があるの。」
「下らない。来てくれるのなら、一しょに出かけるから、サッサと洋服着てよ。」
「ハイ、ハイ。」と、美和子は立ち上りながら、
「私も、お姉さんのように、舞台へ出ようかな。」と云うと、圭子は、
「駄目! 貴女《あなた》のような精神的な陰翳のない人は駄目!」
「へえ。」と、唇をそらした美和子の表情の方が、姉よりは、ずーっと陰翳があった。
二
天性明るく淡泊な美和子ではあったが、しかし、意地っぱり屋であった。
美沢の心の中に、新子に対する清算しきれないものがあるのを知ると、何か苛々《いらいら》して来て、ひたむきに美沢を追う気になれず、その不満をまぎらすために、姉の酒場《バー》で働いていると、そこへ美沢が現れて、
(君とも会わないよ!)と、何か新子を清算するお添物のように、あっさり片づけられてしまうと、美和子は口惜《くや》しくて仕方がなかった。
何か、あっと云うようなことをやり出して、美沢や姉に思い知らしてやりたい気がしていた。
だから、圭子に精神的陰翳がないから駄目と、あっさり云われても、姉の世話係として、劇団へ出入《でいり》するうちに、自分も舞台へ出る機会を掴むつもりでいた。
圭子達の今度の公演の場所は、帝国ホテルの演芸場であった。だが稽古場としては、銀座裏の桜亭という貸席を借りていた。
美和子は、その朗かな性質で、たちまち劇団の人達と、お友達になってしまい、姉の手伝いばかりでなく、誰の用事でもしてやるので(美和ちゃん美和ちゃん)と皆から重宝がられていた。
今度の出し物は、日本の現代作家の創作戯曲であった。
第一夜は、満員に近い盛況であった。
第二日目の夜、楽屋入をして間もなく、圭子は面会のお客があって楽屋から出て行ったまま、しばらく帰って来なかった。
二十分も経った頃、座員の一人が美和子のところへ来て、
「お姉さんから、ホテルのグリルにいるから、君にもすぐ来い! という言伝《ことづて》だぜ。」と、云った。
「ご飯喰べているのかしら。」と、美和子が訊き返すと、
「そうだろう。君にも、ご馳走してくれるんだぜ。」
「素敵! 素敵!」美和子は、雀躍《こおど》りして演芸場からは近い、ホテルのグリルへ駈けつけりた。
や
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