っとも、臨時の買物などする時は、別であるが。だから、良人の小切手帳は、その二千円の支出を除けば、全部良人の身辺の費用に当てられたはずである。八月から九月にかけての日付を探っていると、控えの方に何の名目も書かれずに振り出された金額が、ザッと計算して、八千円余に上っている。

        三

 もしや、新子へとは、すぐ疑ったが、しかし、金額があまりに、大きいので、良人がそんなに新子へと思うと、ちょっと信じがたかった。
 しかし、姉の演劇運動の後援をするくらいでは、新子にはどんなことをしてやっているかもしれず、その酒場も、案外良人が出してやったのかも測りがたい。もし、そうだったら、良人と新子との関係は、もうかなり深いところまで、行っているのに、相違ないと、夫人の頭の中には、嫉妬から生れるみにくい臆測が充満した。
 気がついてみると、もう八時を廻っている。夫人は、驚いて階下に降りると、女中を促して、自動車の用意をさせて、帝国ホテル演芸場へと急がせた。
 着いてみると、医学博士のお嬢さんはもう舞台で、「鷺娘《さぎむすめ》」を踊っている。満員の客席の間を、足音を忍ばせて、座席に着いた。
 祥子《さちこ》と同い年でも、ずっと小柄な、いたいけな幼子《おさなご》が、白く濃く白粉を塗り、青く光るほど紅を塗って、人形のようなおかっぱで、重たい衣裳をつけて、踊る舞台は、佐四郎人形を見るようであった。長唄連中は、勿体ないような顔ぶれである。撥音《ばちおと》が冴えて、美しかった。踊りは、もう半ば以上進んでいて、町娘の衣裳でくるくる日傘を廻していた子は、黒ん坊に衣裳のしつけ[#「しつけ」に傍点]を取られて、鷺の本性を現し、合の手の、にぎやかにも、おどろおどろとした無気味な音につれて、

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獄卒|四方《よも》に群がりて
鉄杖振り上げ鉄《くろがね》の
牙《きば》噛《か》みならし、ぼっ立《たて》ぼっ立
二六時中がその間
くるりくるり追廻《おいめぐ》り追廻り
[#ここで字下げ終わり]

 と、帯に描かれた狐火を、ゆらゆらさせて、いみじく、涙ぐましくなるほど懸命に、踊りぬいていた。終ると、割れるような拍手であった。
 夫人は、案外無関心に、その舞台を眺め終ると、早速舞台裏へかけ込んで、踊り手のお母さんに、お祝いやら、お世辞やらを述べた。
 その周囲に、ウヨウヨしている顔も、みんな知合いの奥さまやお嬢さまなので、その人達と無駄話をしてから、連れがないので、この次の「三社祭」を見たら、銀座で買物でもして帰ろうかと、大分|味気《あじき》ない顔付で、パーラーの方へ戻って来ると、思いがけなく、木賀子爵が独りで、綺麗な婦人達の中で、紅茶を飲んでいた。
「あら、貴君《あなた》見えていたの……」
 夫人は、たちまち賑やかな笑顔で、近づいて行った。

        四

 引き受けた切符が、あり余っていたので、木賀の妹達には、送っておいたのだけれど、ハイカラの妹達も、来はしないだろうと思っていたのに、木賀が来ているので、夫人は驚くとともに、急にうれしくなった。
「貴君がいらしっているとは思わなかった。……主人を誘わなくって、よかったわ。」夫人はちょっと体裁のよい嘘を云った。そして、
「よっぽど、貴君暇なのね。」とからかった。
「いや、あるお嬢さんの踊りをちょっと見たかったから……」
「どなた……」と、夫人はプログラムを拡げた。
「(四季)の中の春を踊った人。」
「知らないわ。今来たばかりですもの。もう、大きい方でしょう、年の……」と夫人はからかうような眼差《まなざし》で、木賀を見上げた。
 その時、開幕のベルが鳴った。
「じゃ、貴君もご用が済んだし、私もお義理を果してしまったんだからこれを見たら、一しょに出ましょうか。銀座へ、一しょに行ってほしいわ。」
「ええ。お供しましょう。僕は、もう出てもいいんですよ。」
「だって私来たばかりで、帰っちゃ少し、可笑《おか》しいわ、この踊りが終ってからにしましょう。これが済んだら、貴君勝手に出て、私の自動車の中で待っていて頂戴!」と云って、二人はぞろぞろ座席へ行く、人混《ひとごみ》の中で別れた。
 やはり小さい子供達同士の「三社祭」の悪玉、善玉の踊りが終ると、夫人はサッサと退場して自分の自動車へ行ってみると、木賀はもうとっくに乗っていた。
 自動車が、山下門の方へ動きかけると、夫人は小声で、
「春を踊った人、岸田千枝子と云ったわねえ。どこのお嬢さん?」
「いや、ちょっと……」
「おかしいわねえ。その人の踊りをわざわざ見に来るなんて! だから、逸郎さんは、近頃私のところへなぞ、寄り付かなくなったんだわ。」
「いや、そんな訳じゃないんですよ。ちょっと、縁談のある相手ですが、僕はもちろん断るつもりでいるんですが、仲人が、内山
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