子を取り出して、前川にかけさせた。
 妙に興奮している新子は、ただ前川が自分のことを不安に思って、上って来てくれたことだけで、無上に嬉しく、言葉には云えぬ歓びを、微笑で示すほか、術《すべ》がなかった。

        六

 思い切り泣いた後の、開け放しの心を、のぞかれているような恥かしさで、微笑《ほほえ》んでいたが、新子は間もなく、緊張した、不安げな準之助の無言に、何か自分の方で、云わねばならないことを感じた。
「あのね。美和子が憎くて、泣いてしまいましたの。みっともないでしょう。」と、少し甘えて手を頬に当てながらいった。
 準之助は、キャメルの灰を、無意識に、畳の上に落しながら、
「もっと、ほかのことがあったんでしょう。美和子さんから聞きましたよ。どうなすったんです?」と訊いた。
 新子は、首を振りながら、ふとぶっつかった準之助の眼の中に、いつの間にか、愛人同士らしい複雑な表情が宿っているのを見て、あわてて眼を迯《そ》らせながら、自分でもいい加減な返事の出来ない気持になりながら、その場合無難な返事として、
「美和子が、何を申し上げたのでしょう?」と、彼女の方から訊ねてみた。
「美和子さんの話では、美沢さんという方が、さっき見えたそうですね。」
「ええ。」と、新子は、素直に肯《うなず》いた。前川は、そこでちょっと躊躇《ちゅうちょ》していたが、
「その方は、美和子さんと結婚なさるはずになっているが、貴女は以前、その方が好きじゃなかったのですか……」といって、あわてて後をつづけた。
「もっとも、僕が、そんなことを、お訊きする資格は少しもないんですが……」と、弁解した。
 新子は、前川に対して、気持の上で、いつわりをいっても、仕方がないと思ったので、素直に柔らかく微笑みながら、
「ええ。」と、うなずいた。
「じゃ、貴女が軽井沢へ来ていられた間に、その方と美和子さんが仲よくなってしまったわけですか。」
「ええ。」
「じゃ、こんなことは、僕として自惚《うぬぼ》れているか、しれませんが、僕があんな軽はずみなことをしたために、貴女と美沢さんとの間が、変になったというのじゃないでしょうか。もしそうだと僕はたいへん心苦しいんですが……」
 しかし、前川のぎごちない言葉半ばに、新子は静かに首を振って、打ち消した。前川は、だまっていた。
 新子は、もっと前川から、いろいろなことを訊かれたく思ったので彼女は静かに眼を伏せていた。
「じゃ、美沢君の気持が、美和子さんの方へ行ったのですか。」
 新子は、かすかに首を振りながら云った。
「そうでもありませんの。」
「じゃ、……」
 前川は、何か云おうとして、じっと新子の双眸を見つめた。

        七

「じゃ美和子さんが、あの調子で美沢さんに働きかけるので、貴女が身を引かれたという訳ですか……」と、前川は初めて、事の真相に触れて来た。
「ええ。まあ、それもありますの……」新子は肯きながら、静かにいった。
 前川は、新しい煙草に、火を点じながら、やや厳格な調子で、
「しかし、貴女が本当に美沢さんが好きなら、何も美和子さんのために、身を引くには当らないじゃありませんか。それに、美沢さんという人は、もちろん貴女の方が好きなんでしょう。こんなバーなんか、お廃《よ》しになって結婚なさればいいじゃありませんか。」前川は、出来るだけ公正でありたいらしく、感情を殺していった。
「まあ、貴君まで、私をいじめていらっしゃるわ。そんなに好きだったら、たとい相手が妹だって、身を退《ひ》いたりなぞ致しませんわ。」新子は、初めて自分の心をうち明けた。
「じゃ、問題はないじゃありませんか。そんなに、瞼《まぶた》の赤くなるほど、泣くには当らないじゃありませんか。」乱暴にいいながらも、胸の中には、火のように、いとおしさが、こみ上げて来ているのだった。
「あら、だって――美和子は、美沢さんをほんとうに好きでもないくせに、誘惑したように……今度はまた!」と、いって新子は、その平生の賢さに似ず、なまめかしいまでの羞恥《しゅうち》に、もだえて両手で顔を掩《おお》うた。
「今度は、またどうしたと云うんですか……」
「今度は……羞かしいわ。」
 前川は、新子の云おうとしていることが分っているに拘らず、それを新子に云ってもらいたい慾望に燃えて、
「今度は、どうしようと云うんですか。」
 新子は、顔から両手を離し、その熱くほてっている頬を撫でながら、
「だって、あの子出鱈目なんですもの。貴君にだって、どんなことをするか、分らないんですもの。さっきだって、私が階下《した》へ降りないと云うと、じゃ前川さんがお帰りになっても知らないなんて、憎まれ口云うんですもの。私が、持っているものには、すぐ手を出したがるんですもの。とても憎らしいわ。」
 美和子を
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