が、彼の好青年《ハンサム・ボーイ》ぶりをからかっているのも間違っていた。もっとも、美和子も冗談半分にいっているのであろうが、彼はたしかにあるタイプのハンサム・ボーイだった。中肉中背、やや整いすぎて気むずかしそうに見える顔立ちではあったが、眼が向き合えば、心清げに笑いかけるのが、少女達にとって一つの魅力らしかった。とにかく、少女達の注意が彼に集まれば集まるほど、美和子は美沢をからかったり、弥次ったりした。しかし、どんなにからかわれても美沢は愛人の妹である美和子には、絶えず親しい微笑をつづけていた。
 折を見て、
「新子姉さんは?」と、美和子に訊いた。
「私、お姉さんの番人じゃないことよ。」いたずらっこらしい眼をクルクルさせた。
「これは失礼! でも、貴女《あなた》がお出かけになるときは、お家にいらっしゃいましたか?」
「ええ。それはいたわ。」
「じゃ、今日多分お家にいらっしゃるでしょうね。」
「いるかどうか、今日帰るとき私を送っていらっしゃれば! 分りますから。」
「じゃ、そういうことに致しましょうかな。」と、美沢は結局美和子に、うまく送らされる約束をしてしまった。しかし、彼も美和子を送るという口実で、新子を訪ねたかった。
 そして、新子に自分が、職業を換えた気持をよく説明して、かの女の手紙にいささか現れている皮肉や批評を取り消してもらいたかったのである。
 だが、晩餐までは、トランプや、新ルードや、カロムなどでさわぎ廻り、晩餐がすんでからは、レコードをかけてダンスが始まったので、時間はグングン早く進んだ。
 美沢が、明朝八時から練習があるので、七時前に起きなければならぬのを思い出して、急に暇《いとま》を告げた時は、九時を少し廻っていた。
 もう、美和子を送って、新子に会おうなどという考えは捨てていた。
 だのに、美和子は美沢が、帰りかけたのを早くも見つけて、
「美沢さん。帰っちゃうの。私も、帰るから、送って頂戴ね。」先刻の約束をちゃんと覚えていて、みんなの前で、宣言した。
 美和子は、お友達にからかわれながら、美沢に寄り添ってその家を辞した。

        四

 お友達のひやかしや、いろいろなお別れの言葉を背中に聞き流して外へ出ると、まだぬか雨がふりしきっていて、七月とは思えないほどの、うすら寒い夜であった。
「私の傘つぼめちゃうわ。貴君のに、入れてね。」美和子は、自分の小さい洋傘《アンブレラ》をつぼめると、美沢の手にすがって来た。
 小柄で、まだ子供子供している上に、愛らしくはあるが、色っぽくはないので、そんなに近々と身を寄せられても、てれくさくないばかりか、肩に手をかけて歩いても、恥しくないほど、時々と愉快である。
「美沢さん、家へ送って下さるんでしょう?」
「そうね。遅くなったからな……」
 新子に会えば、この上遅くなるし、それに新子の家では、姉妹《きょうだい》達がいて、思ったことも話せないし……と美沢は考えた。
「ウソつき!」水だまりをよけながら、美沢の肘《ひじ》に、すがっていた美和子の手に重みが加わった。
「あした、八時から練習があるんですよ。明後日《あさって》放送だもんだから……」
「あなた先生よしたの本当?」美和子はまだ半信半疑であったらしかった。
「本当ですとも。」
「いいわね。私、大賛成だわ。美沢さんは、天分があるんですってね。」お世辞ではあろうが、新子の手紙よりはズーッとうれしかった。
 二人は、バスの停留場に出ていた。
「これから、銀座へ出ても、もうお店起きてないかしら?」
「まだ大丈夫ですよ。」
「ねえ、美沢さん。一しょに銀座へ行かない?」
「何か用事があるのですか?」
「靴下を買うのよ。これ穴が開いているんですもの。お姉さま、お金ちっとしかくれないから、一円五十銭のを買うの。美和子悲しいわ。」見栄もなく、正直になげくので、美沢は何となくいじらしくなった。
「でも、僕はあした早いから……」
「いいじゃないの。私、円タクをおごるわ。」
「円タク賃ぐらい、僕が出してもいいけれども。」
「じゃ、行きましょうよ。ねえねえ。」美和子は、両手で洋傘《こうもり》を持っている美沢の手を、一、二度ゆすぶった。
 美沢は、とうとう通りかかった円タクを呼び止めて、銀座まで五十銭に値切った。
 時間が遅いので、新子に会うのを断念した自分が、美和子につき合わされて、銀座へなどと思うとくすぐったい思いがしたが、しかし朗かさそのものである美和子と一しょに居ることも、愉《たの》しいことに違いなかった。
 第一、美和子は、新子のように批評的に、皮肉に人を見たり考えたりしなかった。

        五

 美和子が、靴下を買うのにつき合ってから、ジャーマン・ベイカリで、一しょにお茶を飲み、数寄屋橋まで歩いて、別々の電車に乗り、美沢
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