、デパートへなど来るはずはないが、しかし万々一ということもあるので、大いそぎで金を払うと、包んでくれるのを待ちかねながら、
「食堂は上へ行きましょうか。下へ行きましょうか。」と、美和子に訊いた。美和子は、何となく気落ちのした顔で、店員の手から、帯の包みを受け取りながら、
「下がいいわ。お姉さま、羨《うらやま》しいわ。」と、云った。
七
美和子が、姉を羨んで、しょんぼりしてしまったのを、慰めるため、エレヴェーターで降りながら、
「美和子さんの結婚のお祝いには、何か素晴らしいものを、プレゼントしますよ。」と、お世辞をいった。
「あら、お姉さま、お喋りだわ。そんなことまで、ご存じなの……。でも、まだ分んないの、どうなるか……。いま、ビフテキを喰べながら、お話しするわ。私、ちょっと煩悶してるところなの……」と、男の子のように、明るくいった。実のところ、前川の如き中年の男にとっては、美和子のような年頃の女の子の、いうこと為《な》すこと、一々が思案のほかであった。
洒々《しゃあしゃあ》と、自分の結婚のことについて、馴染の浅い大人をつかまえて、底を割った話をするかと思うと、下の食堂へ行ったときは、その話はケロリと忘れたように、自分一人の食事を、怯《わる》びれもせず、註文して、紅茶一杯でつきあっている前川になぞ、一切気を使わず、プディングを頼んだり、果物を取ったりしているのであった。
何本目かの煙草に、火を点《つ》けながら、前川は実感をそのままに、
「美和子さんなんかに、煩悶なんかありそうもないですがね。」というと、美和子は、子供のように、かんむり[#「かんむり」に傍点]を振って、
「大在《おおあ》りなの。そのね、結婚しようっていう人が、愛してくれるってところまで、まだ行っていないの。私に対して、ただ遊び相手みたいな気持しか持ってくれないんだもの。それが、癪《しゃく》なの。」
「だって、もう結婚することに、定《きま》っているんでしょう。」と、美和子の素直な告白に、微笑ましくなって、やさしく云うと、
「それが、とてもおかしいの。あんまり、その人と遊び過ぎてしまって、私お家へ帰らなかったの。それで、その人のママさんに、お家へことわりに行ってもらったの。するとそのママさんが、気を廻してしまって、お母さんや新子姉さんと、縁談なんか始めてしまったの。少し困っているのよ。」
「いいじゃありませんか。遊び過ぎるくらいなら、貴女だってその方《かた》だって、お互に好きなんでしょう。」
「私は好き。でも、その方は私が好きかどうか疑問なのよ。その方ったら、新子姉さんを、とても好きだったの。今だって、きっと好きだと思うわ。」と、アケスケな話に、準之助は、思わず引かれるように、美和子と視線を合わせて、相手を見つめた。
「じゃアつまり、お姉さまと、愛人関係だったんですか。」と、緊張して訊いた。
八
新子に愛人があったかどうかは、前川にとって、かなり気にかかることだった。
「ええ、そうだったのよ。」と、美和子はアッサリ肯定してつづけた。
「でも、美沢さんって方《かた》、気が小さくて神経質でしょう、お姉様はデンと落着いている方《ほう》でしょう。だから、いつまで交際《つきあ》っていても、あまり発展しないのよ。ところが、この夏、お姉さまが軽井沢へ行ってしまったでしょう。その留守に淋しがりやの美沢さんは、少し自棄《やけ》で、私と遊んでしまった形があるのよ。……ところが、この頃、たちまちつまんなくなってしまったの。だって、結婚っていうことになると、美沢さん、とてもいらいらしてしまっているの。一しょにいても、ちっとも楽しくないの。だから、私お姉さまのところへ、毎日手伝いに行くのよ。」
「だって、貴女は好きなんでしょう、その人が。」前川は、新子にも関係のあることなので、もう一度改めて訊き直した。
「ええ、そりゃ……でも、私フラフラだから、自分でもとても困るわ。お姉さんのお店へ行っていると、何だかあんな仕事が、ほんとに自分の性に適《あ》っているような気がして、この頃、結婚なんかどうでもよくなってきちゃったのよ。」
あんまり、物いいが率直で、かえって嘘か真実か、区別がつかないような美和子に、前川は思わず苦笑を浮べながら、胸の中は、前にいる美和子のことよりも、新子のことで一杯だった。
新子に、つい最近まで愛人があったとして、それが今美和子と結婚しかかっているとしたら、前川はその結婚が滞りなく、早く纏《まと》まってほしかった。新子の周囲には、愛人らしいものの、翳影《かげ》も落ちていない方が、のぞましかった。こうして、新子の面倒を見ていて、いつかどうしようという野心は、神に誓ってないと前川は自分で思っている。また軽井沢で、自然の力と境遇の偶然性
前へ
次へ
全108ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング