になって! これは驚いた。」と、前川はびっくりして、美和子を見直した。
「だって、私はどこの方だか、分らなかったんですもの。お姉さまのお世話になっている前川さんだとは夢にも知らなかったんですもの。すみません、どうも。」と、早くも別なウソをつく円転自在な美和子に、姉は心の中で、何かしら油断のならぬ気がした。

        三

 いきなりはいって来た美和子をたしなめる気持も手伝って、
「貴女、こんなに早く何しに来たの?」と、新子が詰《なじ》ると、
「カットが、こんなに伸びちゃったんだもの。美容室に行くの。」と、前川に愛らしい笑顔を向けて、ちょっといいよどみながら、新子の耳に口を寄せ、
「それで、お姉さまに、お小遣を頂きに来たの。お小遣じゃないわ。二日間のお給料としてでもいいわ。」と、前川にも聞えるように囁いた。新子は、苦笑しながら、
「もうそんな……」といいながら、五円札を出してやると、わるびれもせず、ハンドバッグをパチンと聞けて、中に入れて、今度は前川の方へ向いた。
「晩に、またいらっしゃるでしょう。」
「いや、晩には来られません。」
「いけないわ。嘘をおつきになっちゃ、昨夜《ゆうべ》私とちゃんとお約束なすったのに……」長い睫毛《まつげ》を、しばたたきながら、詰った。
「ご免なさい。今日は、都合がわるいから、改めて約束の仕直しをしましょう。明日きっと来て、あなたのサービスぶりを拝見いたします。」と、やさしくいうと、すぐそれに甘えて、
「じゃ、もうお帰りになるの。」と、訊いた。
「ええ、僕ノウ・ハットだから、会社へ、帽子を取りに行かなければ……」
「あら、帽子なんかいいじゃありませんか。今晩、いらっしゃらない罰に、これから銀座で何かご馳走して下さらない。私、あわててお家で、何も喰べて来なかったの。お腹、ペコペコなの。ねえ、お姉さまも、一しょにお出かけになるでしょう。」
「何を云っているの。前川さんにご迷惑なことを云っちゃ。」
 美和子が、前川に対して、あまりに無遠慮なので、新子が真面目な表情をしてたしなめると、美和子はケロリとして、
「お姉さまは、前川さんと歩くのおいや? 何とか云われやしないかと、心配なんでしょう。私は、平気だわ。私は、前川さんと一しょに歩いたって、伯父さんかパパのようにしか見えないんだもの。ね、そうじゃありません?」新子は、不愉快になってだまったが、前川は冗談に、
「パパは、ひどいでしょう。」と、抗議すると、
「だって、美和子の覚えているパパは、前川さんくらいだわ。ねえ、お姉さま。」と、姉の気持などおかまいなしに同意を求めた。

        四

 新子は、ますます不機嫌になって、
「そんなご迷惑なことを云わないで、早くカットにいらっしゃい。熊の子みたいな頭をして……」と、美和子を追い立てにかかったが、美和子は立ち上ろうとはせず、
「独りで、何か喰べるくらい、つまんないことないわ。お姉さま、一しょに行ってよ。」と、ねだるのを、前川は、取りなして、
「じゃ、僕も、会社へ帰る途《みち》だし、昨日《きのう》サービスしてもらったお礼に、ちょっとつき合いましょう。」と、前川は立ち上った。そうした前川の親切気を妨げる手もないので、新子はだまっていた。
「ああ! 嬉しい。」美和子は、もう馴々と、前川の側《そば》へ立ち寄っていた。新子は、妙に胸騒ぎを感ぜずにはいられなかった。
 美和子の心は、まるで水銀のようである。美沢の美貌と芸術家であることに魅せられて、フワフワと恋愛したように、今度は前川のありあまる物質を背景とした中年の紳士姿に、どう影響されるかもしれたものではなかった。
「美和子ちゃん。貴女、速達が来ていたの、急用じゃないの?」と、美沢のことを思い起させようとしたが、
「あれは、何でもないの。」と、あっさり答えて、
「じゃ、お姉さまは、いらっしゃらないのね。じゃ、出かけましょうか。」と、前川を促した。
「じゃ、また……」と、挨拶して、美和子とともに出かけようとする前川に、
「お転婆で、わがままで、ほんとうに困るんですよ。どうぞ、甘やかして下さらないように。」
 と、云うと、前川は新子の言葉を、姉としての謙遜としか解さないらしく、
「いや、なかなか明朗なお嬢さんですよ。」と、微笑しながら、美和子の後を追うて降りて行った。
 前川さんが、まさかまだお乳の香《におい》のとれない美和子などにと思っても、子供ながらに一くせも二くせもある妹だけにいやだった。といって自分も一しょについて行くことは、はしたない気がして……。もっとも、美沢の場合にだって、何も云う権利のない自分であるから、前川氏の行動に対して文句を云えるはずもなく――いな、心をうごかすはずでもないのであるが、何となくやるせなく不安になるのをどうすることも出来な
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