いるようにお考えになってはいやですわ。」と、新子は云った。
木賀は、新子の慎みぶかい予防線に、感心しながら肯いた。
新子は、自分が準之助氏から、ある危険を感ずるように、他人の眼にも、それが露わに映っているのかと思うと、いやだった。
だから、子爵のそうした観察にハッキリ抗議したのである。
きのうなんか、わずかに傷ついただけなのに、あの方はあんまり、あわてすぎていた。
(やっぱり、あんな不当な謝礼は、頂くのではなかったかしら)金銭の収受は、男女の間をたちまち接近させるものではないかしら、と思ったりした。
白樺の繁みをぬけて、三人が母屋に近づいた時、バルコンの上で、お茶を飲んでいる準之助夫妻を、小太郎が、いちはやく見つけて、
「パパとママが、あすこにいるよ。」と、遠くから指さした。
前川夫妻は、まだこちらに、気が付かないようだった。
「とても、円満な夫婦のようじゃありませんか。」と、木賀子爵が、微苦笑しながら云った。
「ご円満なのでしょう。」と、新子は、ちっとも皮肉を交えずに云った。
「僕行って、お茶をいただく!」小太郎は、一散に建物の方へ急いだ。
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姉のために
一
熱は冷めても祥子《さちこ》は高熱が続いた後なので容易に床を離れることが出来なかった。
それだけ、退屈し切っていて、新子が病室へはいって行くと、すぐねだって、幼年雑誌や漫画の本を読んでもらった。その朝も、新子が病室へはいると、祥子は待ち兼ねていたように、
「ご本よんで!」といった。
「今日はもうよむご本ありませんよ。」
「動物園見物。」
「でも、これは三度目でしょう。」
「三度目だっていいの。」
「じゃ、およみしますわ。」新子は、枕元に坐って、読みはじめた。
サアどっちからみる? ぼくライオンからみる。あたしゾウから。ゾウともおし。僕等はシシから。あらシシは十六ばんめにみるものよ。アア四四十六か。
祥子は、もういく度も聞いた洒落《しゃれ》であるのに、ニコニコうれしがっているのであった。ちょうどその時、扉《ドア》が開く気配がしたので、新子が顔を上げると準之助氏がはいって来た。
「また、動物園見物か。何度目だい? お前が飽きなくっても、南條先生は飽き飽きしていらっしゃるだろう。あんまり、先生をいじめちゃいけないよ。」準之助氏は、にこやかに祥子を叱った。
「先生だって、面白いのよ。ねえ、先生!」
「ええ。とても。」と、新子も真面目に肯いて読みつづけた。
準之助氏は、本を読んでいる新子と、仰のけに寝ながら、新子の読む声に聞き惚れて、美しい黒目を一章一章に、うごかしている祥子とを、何か楽しい観物《みもの》のようにしばらく眺めていた。
そのとき、あわただしい足音がして、扉《ドア》がノックされて、
「どうぞ!」と、新子が答えるのも待たず、女中がはいって来て、新子に電報を手渡した。
(今頃、何の電報!)と、思う胸騒ぎを、じっと抑えて、読み下すと、
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アスマデニ三〇〇エンツゴウシテクレ、イノチガケニテタノム、アネ
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と、いう電文だった。
姉の唐突な無法な依頼に、呆れて新子の顔は、サッと蒼ざめた。
一昨日の金は、着いたのだろうか。着いたとしたならば、その上に何の急用あっての金だろうか。恐らく母が入用《いりよう》の金ではあるまい。姉一人でいる金としたならば、一体何の金だろう。昨年あたり新聞でよく見た、左傾した女の人達が無理算段の金を作るように、まさかあの姉が急に左傾して、党へ出すとかいう金をでも作るわけでもあるまいに……。
「どうなすったんです。南條さん!」準之助氏に、声をかけられて、新子はハッと狼狽した。
「いいえ、つまんない用事なんですの。電報なんか打たなくっていいことなのですの、……ご免なさい祥子さん。先を読みましょうね。」
ずいぶんながくかんがえてたのね。だから、カンガエールカンガエールカンガールて、だれいうとなしにそういってしまったのさ……
だが、もう新子の声は、かすかにふるえて漫画の説明を読むには、一番不適当な声になっていた。
二
祥子も、新子の声のふるえに気がついたと見え、もう漫画からは眼を離して子供らしく気づかわしげな眼を、新子の顔に向けていた。
新子は、それでも祥子の注意を絵本に向けようとあせって、また一ページばかりも、読みつづけた。
「南條さん。本は、それくらいにしてどうですか。ねえ、祥子もういいだろう。」と準之助氏が口を出した。
「ええ。」と、祥子も父の意を汲んで素直に、うなずいた。新子は泣きたいような気持で、本を下に置いた。
「南條さん、不意の電報なんて、よくないことに定《きま》っているものですが、一体どういう報せなん
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