口惜《くや》しさに顔を赤くしながらも、しとやかに夫人の言葉を受けた。
「それだけ、申し上げたくてお呼びしたのです。どうぞ、お引き取り下さい!」と、夫人はあくまで高飛車に、部屋を取りかえたことなどは、夫人としては当然すぎることらしく、それに対する挨拶などは一切なかった。
 新子も、こんな気持で、夫人とこれ以上対坐することは、堪えられなかったので、
「失礼致しました。」と、せわしなくいって、立ち去ろうとすると、
「ちょっと、恐れ入りますが……」と、ひどくやさしく夫人は、新子を呼び止めた。
 新子が振り向くと、夫人はステンド・グラスの張ってある白い卓子《テーブル》の上の、青磁の花瓶を指しながら、
「何でもようございますわ。これに、花をさして持って来ておいて下さいませんか、庭に何かあるでしょうから。」
「はア。」新子は、花瓶をとり上げて、早々に部屋を出た。
 新子は、文句を云われた後に、たちまち用事をいいつけられたので、驚きながらも、庭へ出て、ポンポン・ダリヤばかりを切って、夫人の部屋へ持って行くと、夫人は、
「ありがとう。それから、これを切っておいて下さいません。」と、ペイパ・ナイフと「英国近代短篇集」という書籍をさし出した。
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  不当な謝礼




        一

 新子は、しばらく夫人の傍で切られていない本の頁《ページ》を切っていた。
 夫人は、新子が傍にいることなどは、すっかり忘れたように、スリー・キャッスルの細巻を吸いながら、綺麗なファッション・ブックを漫然とながめているのだった。
 新子は、切り終った本を卓の上に、そっと置いて、
「これでよろしゅうございましょうか。」と、丁寧にいうと、
「はい。」と、夫人は、礼もいわず、ふり向きもしなかった。叱言《こごと》をいった上に、人を使ってと思うと、新子は少し苛々《いらいら》して部屋を出た。
 夫人は高飛車にかまえていながら、人使いは巧みな女性らしい。この分だったら、明日から、どんな風に使い廻されるかわからない、と新子は一方の肩をすくめて考えた。
 六時になった。軌道の上を走っているように正確な、この家の生活は、六時になれば食堂に集まって夕食なのである。
 今宵から、夫人の前で、かしこまって、子供達とも笑い興ずることも出来ずに、ご飯をたべるのかと、新子が考えている矢先に、先刻の女中が上って来て、また
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