態度で、トイレットから出て来た。
「ねえ。あの人に来てもらいたいわ。手紙を出しても、いいでしょう。」
「一度、よしてもらった人に、また来てもらうなんて、可笑《おか》しいじゃないか。それよりも、高等師範の学生か何かで、適当な人は、いくらでもあるだろう……」前川は、一語一語に気をつけ、芝居の台詞《せりふ》でもいうように、静かに云いながら、夫人の眼を探るように、ひたと視線を合わした。
「だから、よさせたのは、私軽率だったんだから、私あの方と会って、潔《いさぎよ》く謝ってもいいのよ。でも、可笑しいわねえ、貴女が反対をなさるとは、おほほほほほ。」
 夫人は、前川の窮状を知っているかのように、気持よげに笑った。

        十

 前川は、笑う夫人の眼の中に、邪悪な喜びの影を見たように思った。何か新子について聞込んだに違いないと思うと、今宵くちづけの感激も消えはてて、当惑せずにはいられなかった。
「でもあの方、まだ職業が見つからないで、お困りになっているのじゃないかしら……もしそうだと私、いよいよ呼び返してあげたいの……」夫人は、まことしやかに、眼を輝かした。前川は、容易に動かされず、
「僕はとにかく賛成しない。他の人を雇った方がいい。」と、藪蛇《やぶへび》にならないように簡単にいった。
「でもなぜ新子さんを、もう一度呼んだらいけないの?」
「そんなハッキリした理由はないさ。あるはずがないじゃないか、しかも一度、貴女と感情の衝突をした人を……」
「だって、それは私が悪いと思うから、謝るつもりなの……」
「しかし、謝ってもらって、来たところが、あの人もいい気持はしないだろうし、貴女だって、きっと何となくそれに拘泥《こだわ》るだろうし……」
「貴君妙だわ。とても、妙だわ。貴君が反対なさるなんて妙だわ。」夫人は、前川の鼻の先で、チラチラ笑いながら、つぶやくように云った。
 妙だと云われれば、妙に違いないだろうと思うと、前川はいよいよ不愉快になってだまってしまった。それにしても、片足をあげれば、その片足に、他の足を挙げれば、その足に、とりもち[#「とりもち」に傍点]のようにくっついて来て人を窮地に陥れて喜ぶような夫人の性癖を、今更のように、憎々しく感ぜずにはいられなかった。
「じゃ、私路子さんと、相談して、とにかく、新子さんの内意を訊いてもらうわ。向うで、来たいといえば、貴君だっ
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