の眼にさえ、急に若々しくお成りになったように映るんですもの……いい加減、気になってしまうわ。貴君、何かお出来になったんじゃない?」
 前川は、首筋に、氷片を落されたような気持ながら、しかし色には出さず、
「おかしなことを云うね。何か出来たって、何が……」と、とぼけて訊き返すと、
「愛人か……そんなものよ。」前川は、ドキッとして黙ってしまった。しかし、夫人はさる[#「さる」に傍点]者、ニヤニヤ笑いながら、
「ねえ……」と、眼顔で押して来た。

        八

 前川は、急所を突かれながらも、それが夫人の臆測にすぎないと知ると、ホッと安心して、
「そんな冗談にも洒落《しゃれ》にもならないことを云うものじゃありませんよ。そんなことを云えば、貴女だって、この頃は頓《とみ》に、美しく若々しいじゃありませんか。」
「嘘おっしゃい」
 酒の下地で、常よりは、やや図々しい前川に、夫人はちょっと業腹《ごうはら》で、ヒステリックに、その話を打ち切って、別の手を考えていた。
 習慣で、どんなに遅くっても、就床前に必ず歯を磨く前川が、室内の奥についている洗面所《ウォッシュ・スタンド》の方へ歩いて行く後姿《うしろすがた》に、
「ねえ、冗談は冗談として、ちょっとご相談したいことがあるの家庭教師のことで……」と、云いさして、夫人は、良人の背中でちょっと舌を出してから、追いかけて行った。
 四方白い、小さいタイル張りの部屋の中で、前川は黙っていた。夫人は、入口からのぞき込みながら、
「ねえ……」と、押しかけた。
「二学期が、はじまってから、もうよっぽどになるでしょう。やはり、家で勉強見てやった方がいいらしいんですの。それでいろいろ探しているんですけれど、適当の人が、なかなかないのよ。貴君、なんかお心当りないこと?」
 前川は夫人のために、その小さい部屋に閉じ寵められたような、気味の悪い感じで歯ブラシの音と水音とで、返事の出来ないことを示していた。
「ねえ、なぜ黙っていらっしゃるの?」と、夫人は跣足《すあし》で、二、三歩はいって、良人の顔をわざわざのぞきに来て、
「ああ、口を磨いていらっしゃるのね。じゃ、お待ちするわ。真面目に、ご相談したいことがあるのよ。」と、云いながら、また入口の方に、引き返したが、前川がブラシを使い終るのを待って、
「ねえ、新子さん!」と、いきなり云った。
「ええっ!」前
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