で、二人は予定通り、大勝館へ行くことにして、円タクに乗った。
 大勝館で、美和子は「ズー・イン・ブダペスト」はお終いまで、神妙に見たが「ジェニイの一生」になると、中途まで見て、
「ねえ、出ましょうよ。」と、いった。
 美沢は、見ても見なくてもよかったし、美和子はのん[#「のん」に傍点]気に見えても、帰りを急いでいるかもしれないと思って、だまっていわれるままに、外へ出た。
「面白かったわ。『ジェニイの一生』なんていうの、いや。あれを中途まで見ている内に、散歩のプランが浮んだから、出てしまったのよ。」六区の雑沓《ざっとう》の中へ出ると、すぐ美和子がいった。
「まだ散歩するの。」
「だって、これからすぐ帰っても暑いわ。」
「どんなプラン?」
「私に委せて下さらなきゃいや、貴君のお家の近くで蜜豆を喰べるのだけれど、その前にちょっと散歩したいの。」
 時計は、まだ八時を少し過ぎたばかりであるし、美和子の子供っぽい願いを、無下に斥けるのも何となくいじらしく思われたし、
「うん。」と、いってしまった。
 うんと聞くと、美和子はもう、小走りに松竹座の前の大通りに出て、そこにいる「空車」の一つを、三十銭に値切ってしまった。
 車へ乗ってから、美沢は訊いた。
「どこへ行くの。」
「訊いちゃいや。出来たら、眼をつむっていて……」
「僕を誘拐するの。」
「女ギャングよ。」そういって、小さい右手をピストルの恰好にして、美沢の横腹にさし当てた。
「くすぐったいよ。」美沢は、その手を握っておしのけた。

        七

 自動車は、美和子に命ぜられていたと見え、公園裏のコンクリートの大道を、入谷から寛永寺坂にかかって、上野公園の木立の闇を縫い、動物園の前で止まった。
「どう、ここから池の端へ降りて、不忍《しのばず》の池の橋を渡って、医科大学の裏の静かな道を一高の前へ出て、あすこで梅月の蜜豆を喰べて、追分のところで、別れるの。少し長いけれど、いい散歩《プロムネード》コースじゃなくって、さっき活動を見てから考えたの。」
 美和子は真面目にしているのかふざけているのか分らないが、とにかくこのコースは、いかにも恋人同士が選びそうな人目の薄い散歩道である。こんな所を歩きたがるとすれば、女として彼女を警戒する必要がある。そう、美沢が思った途端、水銀のように変化の早い彼女はもうそれと悟って、美沢の警戒を
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