いから、あの人に毅然として対抗しているから。」小太郎に分らないようにいった。
新子は、子爵の現実を避けない愉快な物いいに、明るくのびのびと笑った。子爵はつづけて、
「でも、それだけが楽しみじゃないでしょう。愛人《アミイ》だって、お在りになるんでしょう。」と訊ねた。
「ございましてよ。貴君のように複数でなく、単数で……ほほほ。」
「は、はア。これはたいへん失礼致しました。失礼ですが、先刻のハンカチーフをお返し下さいまし……」
相手のあざやかな応酬に、新子はポッと赤くなりながら、さっきから返しそびれてキレイに畳んで懐《ふところ》にしまっていたハンカチーフを返した。
三人は、やがてブレッツを出た。
若い男と女との会話は、全く磁石のような力を持っているものだ。まして、新子の情感に溢れたほがらかな言葉づかいは、相手にひしひしと浸み込んで行くような性質のものだった。
だから、わずかの間ではあったが、子爵の心には、新子に対する深い親愛と好意とが湧き上った。
しかし、最後の言葉が、いけなかった。単数の愛人《アミイ》あり! それは(われに、近寄り給うな)と、いう警笛《アラーム》のようにも聞えた。
五
子爵は、歩きながら考えた。単数の愛人って、誰だろうか。まさか、準之助氏ではあるまい。でも、昨日《きのう》、新子が負傷した時の、準之助氏の狼狽《うろた》えかたは、少し可笑《おか》しかった。それに、新子を見るときの情熱の籠った双眸! でも、まさかと子爵は、そんな考え方を捨てようとした。
両側の草原から、絶えず、清々しい香りが立ち上って、胸を気持よく柔らげるのであった。
小太郎が、大きい揚羽の蝶を見つけて、草原の中へ十間ばかり追いかけて行った。
しばし黙っていた木賀子爵は、その機会に、
「マダムは、難物ですが、前川氏は、きっといい味方になってくれるでしょう。あの人は、元来|女性尊重主義者《フェミニスト》だから……」
「まあ、なぜ……貴君《あなた》はそんなことをおっしゃるのですの。」
木賀の云い方に、すぐ賛成するかと思った新子が、思いがけなく反撥したので、木賀は大きく見張った新子の視線を、あわててそらしながら、
「僕が、あの人をほめては、いけないんですか。」と、タジタジしながら云った。
「いいえ。お賞めになっても結構ですわ。でも、私とマダムと対立でもして
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