れたことを、大事に守っていた。
が、この頃の彼は、国政を聞く時にも、すべてを僻《ひが》んで解釈した。家老たちが、ある男を推薦して褒め立てると、彼はその男が食わせ者のように思われて、その男を用うることを、意地にかかって拒んだ。国老たちが、ある男の行跡の非難を申し上げて、閉門の至当であることを主張すると、忠直卿は、その男が硬直な士であるように思われて、いっかな閉門を命ずることを許さなかった。
越前領一帯、その年は近年希な凶作で、百姓の困苦一方ではなかった。家老たちは、袖を連ねて忠直卿の御前に出《い》で、年貢米の一部免除を願い出《い》でた。が、忠直卿は、家老たちが口を酸《す》っぱくして説けば説くほど、家老たちの建言を採用するのが厭になった。彼自身、心のうちでは百姓に相当な同情を懐きながら、家老たちのいいままになるのが不快であった。そして、家老たちがくどくどと説くのを聞き流しながら、
「ならぬ! ならぬと申せば、しかと相ならぬぞ」と、怒鳴りつけた。なんのために拒んだのか、彼自身にさえ分からなかった。
こうした感情の食い違いが、主従の間に深くなるにつれ、国政日に荒《すさ》んで、越前侯乱行の噂は江戸の柳営《りゅうえい》にさえ達した。
が、忠直卿のかかる心持は、彼のもっと根本的な生活の方へも、だんだん食い入って行った。
ある夜のことであった。彼は宵から奥殿にたて籠って、愛妾たちを前にしながら、しきりに大杯を重ねていた。
京からはるばると召し下した絹野という美女が、この頃の忠直卿の寵幸を身一つにあつめていた。
忠直卿は、その夜は暮れて間もない六つ半刻から九つに近い深更まで、酒を飲み続けている。が、酒を飲まぬ愛妾たちは、彼の杯に酒を注ぐという単調な仕事を、幾回となく繰り返しているだけである。
忠直卿は、ふと酔眼をみひらいて、彼に侍座している愛妾の絹野を見た。ところが、その女は連夜の酒宴に疲れはてたのだろう。主君の御前ということもつい失念してしまったと見え、その二重瞼の美しい目を半眼に閉じながら、うつらうつらと仮睡に落ちようとしている。
じっと、その面を見ていると、忠直卿は、また更に新しい疑惑に囚われてしまった。ただ、主君という絶大な権力者のために身を委して、朝暮《あけくれ》自分の意志を少しも働かさず、ただ傀儡《かいらい》のように扱われている女の淋しさが、その不覚な
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