るという確信を、心の奥深く養ってしまったのである。
が、忠直卿の心には、家中の人間の誰よりも立ち勝っているという確信はあるものの、今度大坂に出陣して以来は、功名を競う相手は、自分と同格な諸大名であるので、もしや自分が彼らの何人《なんびと》かに劣ってはいはしまいか、ことに武将としては最も本質的な職務たる戦争において、思わざる不覚を取りはしまいかと、少しく憂慮を懐かぬわけにはいかなかった。果して五月六日の手合せには、ついに出陣の時刻を遅らせたために、思わぬ不覚を取って、今まで懐いておった強い自信を危く揺がせようとしたのであったが、同じ七日の城攻めの功名によって傷ついた自信は、名残りなく償われたばかりでなく、一番乗りの功を収めて、越前勢の武名惣軍を圧するに至ったのであるから、自分が家臣の誰人よりも秀れているという忠直卿の自信が、今ではもっと拡大して、自分は城攻めに備わった六十諸侯の何人《なんびと》よりも秀れているという自信に移りかけていた。大坂陣を通じて三千七百五十級の首級《しるし》を挙げ、しかも城将左衛門尉幸村の首級を挙げたものは、忠直卿の軍勢に相違なかったのだ。
忠直卿は初花の茶入と、日本樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]という美称とを、自分が何人よりも秀れたる人間であるという証券として心のうちに銘じた。
晴々とした心持であった。そこに並んでいる大名小名百二十名は、ことごとく忠直卿に賛美の瞳を向けているように思われた。
彼は今まで自分の臣下の何人よりも、自分が優秀な人間であることを誇りとしていた。が、比べている相手はことごとく自分の臣下であることが物足らなかった。然るに、今は天下の諸侯の何人よりも真っ先に、大御所から手を取って歓待を受けている。
自分には伯父に当る義直卿も頼宣卿も、何の功名をも挙げていない。まして同じく伯父に当る越後侍従|忠輝《ただてる》卿は、七日の合戦の手に合わず散々の不首尾である。伊達、前田、黒田という聞えた大藩の勲功も、越前家の功名の前には月の前の螢火よりもまだ弱い。
こう考えると、忠直卿は家康の過ぐる日の叱責によって、一旦傷つけられようとした他人に対する優越感が、見事に回復されたばかりでなく、一旦傷つけられただけにその反動として、回復されたそれは以前のものよりも、もっと輝かしい力強いものであった。
こうして越前少将忠直卿
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