けついで渡してくれた。
 かの青年は、鉛筆を受け取ると、それを不思議そうに一|瞥《べつ》して後、なんの躊躇もなく、木片の上に流暢《りゅうちょう》に書き始めた。十五分間の後、余地のないほどに字を書き詰められた木片が、ワトソンの手に返された。
 ワトソンは、青年たちに目礼し、心のうちでこの不幸な青年たちの祝福を祈りながら、船へ帰って来た。そして、その木片を支那語の通辞である広東人《カントンじん》羅森《らしん》に示した。
 羅森は次のように訳した。

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 英雄一|度《たび》その志すところに失敗せば、かの行為は、奸賊《かんぞく》強盗《ごうとう》の行為をもって目せらる。我らは衆人環視のうちに捕えられ縛《いまし》められ、暗獄《あんごく》のうちに幽閉《ゆうへい》せられる。村の長老は、侮蔑をもって我らを遇し、我らを虐待すること甚し。
 六十余州を踏破《とうは》するの自由は、我らの志を満足せしむる能わざるが故に、我らは五大洲を周遊せんことを願えり、これ我らが宿昔《しゅくせき》の志願なりき。我らが多年の計策は、一朝にして失敗せり。しかして今や我らは、隘屋《あいおく》のうちに禁錮せられ、飲食、休息、睡眠すべて困難なり。我らは、この囹圄《れいご》より脱する能わず。泣かんか、愚人のごとし。笑わんか、悪漢のごとし。嗚呼《ああ》、我らは黙して已《や》まんのみ。
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 提督《ていとく》ペリーをはじめ、先夜の会議に列した人々は、揃ってこの訳文を読んだ。そして、銘々に深い感激を受けずにはおられなかった。
「なんという英雄的な、しかも哲学的な安心立命《あんじんりつめい》であろう」
 提督は深い溜め息とともにそう呟《つぶや》いた。
 不意に、歔欷《きょき》の声が一座をおどろかした。それは、若い副艦長のゲビスであった。
 提督は、ゲビスのそばに進みよって、その肩を軽打した。
「そうだ。君の感情がいちばん正しかったのだ。君はこれからすぐ上陸してくれたまえ。そして、この不幸な青年たちの生命を救うために、私が持っているすべての権力を用うることを、君にお委せする」
 ゲビスは、それをきくと、勇み立って出て行った。
 ワトソンは、心の苦痛に堪えないで、自分の船室へ帰って来た。が、そこにもじっとしていることができなかった。彼は、自分の船医として主張した一言が、果して正当であ
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