てしまったら、其処に対等の関係が生じて、以前の人情関係は、消滅してしまうのだ。また恩を返すと云う事は、恩人に何等かの事件、災害、不幸が起る事を、前提としなければならなかった。従って、恩返しの機会を待つ事は、恩人に何等かの事変が起るのを待つのと、余り距《へだ》たった心持ではないと、彼は思って居た。
 こうした心持で、譲吉は恩返しなども、少しも念頭に置かなかった。支那の書物にある『大恩は謝せず』などと云うのと、殆ど同じ心持であった。只《ただ》何時迄も、近藤夫人に対し、純な強い感謝の心を懐いて居たいと、譲吉は思って居た。其上夫人は譲吉に取って、過去の恩人であるばかりでなく、現在に於ても、譲吉の生活の、有力な保証者であった。譲吉は、此半年ばかり生活が順調である為に、殆ど物質上の助力を、夫人に仰いだ事はなかったが、譲吉は心の裡で、自分が疾病や災害で、生活の困難を来たす時、必ず夫人が援《たす》けて呉れる事を信じて居た。夫は譲吉に取って、実生活上の一つの強みであった。譲吉が近藤夫人に対する感謝のもう一つの中心は、夫人が譲吉に払って呉れた信頼であった。譲吉は、最初高商の秀才と云う振込《ふれこ》みで、近藤家の世話になる事になったのだが、譲吉は秀才でないばかりか、可なり怠惰者《なまけもの》に近い方であった。そして、毎年の学年試験には、漸く及第点を取る位であったが、夫人は何時迄も、譲吉を秀才だと考え、頼もしい青年だと思って居た。譲吉は夫人の死に依って生活の保証の一つを失ったと同時に、彼の第一の知己を失った訳であった。
 が、譲吉はあまりに、利己的な涙ばかりを出して居た。夫人の死が、譲吉に及ぼした打撃ばかりに就いて泣いて居た。が、夫人の死に就て、譲吉よりももっと大きい打撃を受けた人がまだ沢山あった。夫は無論近藤氏一家の人々であった。家庭中心であった近藤氏の家庭では、夫人は一家の太陽であった。夫の近藤氏が、政党の首領として忙しい身体である為に、夫人は七人の子女から成る大きい家庭を、自分一人で支配せねばならなかった。そして、夫人は母たる愛情を、七人の子供に平等に領《わ》けて居た。譲吉はまだ十六にしかならない令嬢の雪子さんや、十一になったばかりの瑠璃子《るりこ》さんが、夫人の死の為めに受くる愛情生活の破産《バンクラプシイ》を考えると、自分の悲しみなどは恥しいほど、小さいものだと思わずには居られな
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