たが、剣を把つては天才的と云はれた沖田には、敵はない。
 肩先を斬られたまゝ逃れ、隣家の庭前に監視してゐた、桑藩士本間某を斬り、黒川某に重傷を被《かうむ》らせ、馳せて河原町の藩邸に向つた。併しこの時は、門の扉は固く鎖してあり、稔麿は入ることが出来ない。その身は重傷であり、遂に進退|谷《きは》まつて、門外に自決したのである。この時、年齢二十四であつた。
 吉田稔麿は松陰門下の奇才で、この時は長幕調停案の一案を劃して、帰国の途中、京都に寄つて殉難したのである。
 この日も、留守居役の乃美織江が頻りに止めると、
「いや直き帰つて来る」
 と云つて、殿様からの下され物の小柄等を乃美に托して、出かけて行つたのである。
 この時、自分で髪を結《ゆ》つたが、元結《もとゆひ》が三度も切れたので、

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結びても又結びても黒髪の
   乱れそめにし世を如何にせん
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 と云ふ歌を詠んで、乃美に示したと云ふ。これが遂に、その辞世となつたわけである。
 宮部鼎蔵は、乱戦の中に池田屋に於て斃れた。一説には、進退谷まつて階段の下で屠腹して果てたとも云ふ。年は四十五であ
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