と豪語した男である。
 塙の首級は、暑気の折から損ずるだろうと云うので、家康に抜露しなかった。所がその夜、井伊|掃部頭《かもんのかみ》の陣中にいた女が、痞《つかえ》おこり譫言《うわごと》を口走る。「我も一手の大将なり。然るにわが首の何とて、実検に合わざるぞ。かくては、此度の勝利思いも依らず。我|崇《たたり》をなし、禍いを成さん」と。家康之を聞き「団右衛門は健気《けなげ》なるものなり、首は見苦しくとも実検せん」とて、法通り実検した。すると、女の痞は忽ち怠った。家康笑って、団右衛門ゆかりの者なるべしとて、調べると果して、団右衛門が不びんをかけた古千屋と云うものであった。
 これに依って、戦国女性の気魄《きはく》も分るが陣中に女を伴っていたことも分る。

       片山道明寺附近の戦

 道明寺は河内志紀郡にあって、大阪城の東南|凡《およ》そ五里、奈良より堺に通ずる街道と、紀州より山城に通ずる街道との交叉の要地である。
 四月|晦日《みそか》、大野治房等は樫井の敗戦から還り、大阪で軍議をした。後藤基次先ず国分の狭隘を扼し大和路より来る東軍を要撃することを提議した。前隊は基次、薄田兼相《す
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