のと幸村、盛親、基次、直之などが、いずれも剛直の士で、徳川の世に生きて、かがまっているよりも、一死を潔《いさ》ぎよくしようと思っている連中ばかりなので、到頭不利な戦争をやりとげたものであろう。その上諸浪人なども、戦国時代生き残りだけに気がつよく、みんな元気がよかったのであろう。それに比べると、徳川方の連中は、金持喧嘩せずの方で、家康への義理戦で、打算戦であるだけに、大阪方の勇名ばかりが残ることになったのだろう。
長曾我部盛親だけが大名格で、後は前に書いたように陪臣級である。それにしては、よく戦ったものである。大阪陣の文献は、みんな徳川時代に出来たものであるにも拘わらず、大阪方の戦死者は、賞《ほ》めちぎられているのは、幸村、盛親、基次、重成など、典型的な武人として、当時の人心を感動せしめた為であろう。幸村、基次、重成などの名前が、今でも児童走卒にも伝っているのは、後世の批判が公正な事を示していて、うれしい事である。こう云う名前は、映画や大衆小説の俄《にわか》作りの英雄豪傑とは又別に、百世に伝えたいものである。
大阪城の勇士の事を思うと、人は一代名は末代と言う格言を素直に肯定出来る。
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