の配備甚だ手薄だった。「御所様之御陣へ真田|左衛門佐《さえもんのすけ》かゝり候て、御陣衆を追ちらし討捕り申候。御陣衆三里ほどづゝにげ候衆も皆々いきのこられ候。三度目に真田もうち死にて候。真田日本一の兵いにしへよりの物語にも無之由《これなきよし》惣別これのみ申事に候」と『薩藩奮記』にあるが、講談で家康が、真田に追かけられる話も、全然嘘ではない。流石《さすが》直参の三河武士も三里逃げた。真田一党の壮烈な最後は「日本にはためし少なき勇士なり。ふしぎなる弓取なり。真田|備居《そなえお》る侍を一人も残さず討死させる也。合戦終りて後に、真田下知を守りたる者、天下に是なし。一所に討死させるなり」と云われている。
 此の一戦は「此方《こちら》よりひたもの無理に戦を掛候処、|及[#二]一戦[#一]《いっせんにおよび》戦数刻|相支《あいささえ》候て、半分は味方、半分は大阪方勝にて候ひつれ共、此方の御人数、|数多有[#レ]之《あまたこれある》に付き御勝に成る」と『細川家記』にあるから、大阪方も必死の戦いをしたことが分る。
「大阪衆手柄之儀中々|不[#レ]及[#レ]申《もうすにおよばず》候。今度之御勝に罷成《
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