、蘆原より敵か味方かと問《とい》、乗掛見れば、士《さむらい》一人床机に掛り、下人四五人|並《ならび》居たり。某《それがし》答て、我は掃部頭《かもんのかみ》士某、生年十七歳敵ならば尋常に勝負せよと申。彼《かの》士存ずる旨あれば名は名乗らじ、我は秀頼の為に命を進ずる間、首取って高名にせよと、首を延べて相待ける。
 某、重《かさね》て、士の道に|無[#二]勝負[#一]《しょうぶなく》して首|取無[#レ]法《とるほうなく》槍を合せ運を天に任せん、と申ければ、げに誤りたりと槍|押取《おっとり》、床机の上に居直《いなおり》もせず、二三槍を合《あわせ》、槍を捨《すて》、士の道は是迄也。左らば討て迚《とて》待ける故|無[#二]是非[#一]《ぜひなく》首をとる。兼て申付たるか、下人は槍を合するや否《いなや》、方々へ逃げ失せぬ」と、『古老物語』にあるが、戦い敗れた後の重成の従容《しょうよう》たる戦死の様が窺われる。
 重成の首は月代《さかやき》が延びていたが異香薫り、家康これ雑兵の首にまぎれぬ為の嗜《たしなみ》、惜む可きの士なりと浩歎した。

       岡山天王寺口の戦

 五月七日、幸村は最後の戦場
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