、寄手の使番一人、向う側の味方の陣まで、使を命ぜられたが、城を廻れば遠廻りになるので、大手の城門に至り、城を通して呉れと云う。昌幸聞いて易き事なりとて通らせる。その男帰途、又|搦手《からめて》に来り、通らせてくれと云う。昌幸又易き事なりと、城中を通し、所々を案内して見せた。時人、通る奴も通る奴だが、通す奴も通す奴だと云って感嘆したと云う。
此時の城攻《しろぜめ》に、後年の小野次郎左衛門事|神子上《みこがみ》典膳が、一の太刀の手柄を表している。剣の名人必ずしも、戦場では役に立たないと云う説を成す人がいるが、必ずしもそうではない、寄手力攻めになしがたきを知り、抑えの兵を置きて、東山道を上ったが、関ヶ原の間に合わなかった。
関ヶ原戦後、昌幸父子既に危かったのを、信幸信州を以て父弟の命に換えんことを乞う。だが昌幸に邪魔された秀忠の怒りは、容易に釈《と》けなかったが、信幸父を誅《ちゅう》せらるる前に、かく申す伊豆守に切腹仰せつけられ候えと頑張りて、遂に父弟の命を救った。時人、義朝には大いに異なる豆州|哉《かな》と、感嘆した。
[#7字下げ]大阪入城[#「大阪入城」は中見出し]
関ヶ原の
前へ
次へ
全31ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング