で渡った。
幸村は、夙《つと》にこの事あるを予期して、河底に鉄鎖を沈め置き、多数が河の半ばまで渡るを待って、これを一斉に捲き上げたので、先陣の三百余騎、見る見る鎖に捲き倒されて、河中に倒れた。
折柄、五月雨《さみだれ》の水勢|烈《はげ》しきに、容赦なく押流された。
茲《ここ》に最も哀れをとどめたのは、大将吉田修理亮である。彼は、真先に飛込んで、間もなく馬の足を鎖に捲きたおされ、ドウと許り、真倒《まっさかさ》まに河中に落ちた。が、大兵肥満の上に鎧を着ていたので、どうにもならず、翌日の暮方、天満橋の辺に、水死体となって上った。
また、同じ刻限、天王寺表の嚮導《きょうどう》、石川伊豆守、宮本丹後守等三百余人が平野の南門に着した。見ると、そこの陣屋の門が、ぴったり閉めてあって入りようがない。廻って東門を覗《うかが》ったが、同様である。内には、六文銭の旗三四|旒《りゅう》、朝風に吹靡《ふきなび》いて整々としていた。
「さては、此処がかの真田が固めの場所か。迂濶に手を出す可らず」その上、越前勢も、大和川の失敗で、中々到着するけしきもないので石川等は、東の河岸《かし》に控えて様子を覗っていた。
夜がほのぼのと明け始めた。そこで東の門を覗ってみると、内は森閑として、人の気配もなかった。何のことだ、と言い合いつつ、東の門を開いて味方を通そうとしている所へ、越前勢の先手がやっとのことで押し寄せて来た。
大和川に流された吉田修理亮に代って、本多飛騨守、松平壱岐守等以下の二千余騎である。
が、石川宮木等は、これを真田勢の来襲と思い違い、凄まじい同志討がここに始まった。
石川宮木等が葵《あおい》の紋に気付いた時は、既に手の下しようのない烈しい戦いになっていた。ようやくのことで、彼等が、胄を取り、大地にひざまずいたので、越前勢も鎮《しず》まった。
しかし、こんな不始末が大御所に知れてはどんなことになるかも知れない、とあって、彼等は、その場を繕うために、雑兵の首十三ほどを切取り、そこにあった真田の旗を証拠として附けて、家康に差出した。
家康いたく喜ばれ「真田ほどの者が旗を棄てたるはよくよくのことよ」と御褒めになり、その旗を家宝にせよとて、傍《かたわら》の尾張義直卿に進ぜられた。
義直卿は、おし頂いてその旗をよく見たが、顔色変り「これは家宝にはなりませぬ」と言う。
家康もまた、よく見れば、旗の隅に細字で、小さく「棄旗」と書いてあった。「実に武略の人よ」と家康は、讃嘆したとあるが、これは些《いささ》かテレ隠しであったろう。
寄手の軍が、こんな朱敗を重ねてぐずぐずしている間に、幸村は軍を勝曼院の前から石之華《いしのはな》表の西迄三隊に備え、旗馬印を竜粧《りゅうしょう》に押立てていた。
殺気天を衝き、黒雲の巻上るが如し、という概があった。
陽《ひ》も上るに及んで、愈々合戦の開かれんとする時、幸村は一子大助を呼んで、「汝は城に還りて、君が御生害《ごしょうがい》を見届け後果つべし」と言った。が、大助は「そのことは譜代の近習にまかせて置けばよいではないか」と、仲々聴かなかった。そして、「あく迄父の最期を見届けたい」と言うのをなだめ賺《すか》して、やっと城中に帰らせた。
幸村は、大助の背姿《うしろすがた》を見、「昨日|誉田《ほんだ》にて痛手を負いしが、よわる体《てい》も見えず、あの分なら最後に人にも笑われじ、心安し」と言って、涙したという。
時人、この別れを桜井駅に比している。幸村は、なぜ、大助を城に返して、秀頼の最後を見届けさせたか。その心の底には、もし秀頼が助命されるような事があらば、大助をも一度は世に出したいと云う親心が、うごいていたと思う。前に書いた原隼人との会合の時にも「伜に、一度も人らしい事をさせないで殺すのが残念だ」と述懐している。こう云う親心が、うごいている点こそ、却って幸村の人格のゆかしさを偲《しの》ばしめると思う。
[#7字下げ]幸村の最期[#「幸村の最期」は中見出し]
幸村の最期の戦いは、越前勢の大軍を真向に受けて開始された。
幸村は、屡々《しばしば》越前勢をなやましつつ、天王寺と一心寺との間の竜《たつ》の丸に備えて士卒に、兵糧を使わせた。
幸村はここで一先ず息を抜いて、その暇に、明石|掃部助全登《かもんのすけなりとよ》をして今宮表より阿部野へ廻らせて、大御所の本陣を後《うしろ》より衝かせんとしたが、この計画は、松平武蔵守の軍勢にはばまれて着々と運ばなかった。
そこで、幸村は毛利勝永と議して、愈々秀頼公の御出馬を乞うことに決した。秀頼公が御旗《おんはた》御馬印を、玉造口まで押出させ、寄手の勢力を割いて明石が軍を目的地に進ましめることを計った。真田の穴山小助、毛利の古林一平次等が、その緊急の使者に城中へ走っ
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