ーティ》に行きましたがね。とても、本日の盛況には及びませんね。尤も、此名園を見る丈《だけ》でも、来る価値は十分ありますからね。ハヽヽヽ。」
 代議士の沢田は真正面からお世辞を云ふのであつた。
「いゝ天気で、何よりですよ。ハヽヽヽヽ。」と、勝平は鷹揚に答へたが、内心の得意は、包隠《つゝみかく》すことが出来なかつた。
「素晴らしい庭ですな。彼処《あすこ》の杉林から泉水の裏手へかけての幽邃な趣は、とても市内ぢや見られませんね。五十万円でも、これぢや高くはありませんね。」
 さう云ひながら、澤田は持つてゐたビールの杯《コップ》を、またグイと飲み乾した。色の白い肥つた顔が、咽喉の処まで赤くなつてゐる。彼は、転げかゝるやうに、勝平に近づいて右の二の腕を捕へた。
「主人公が、こんな所に、逃げ込んでゐては困りますね。さあ、彼方《あつち》へ行きませう。先刻も我党の総裁が、貴方《あなた》を探してゐた。まだ挨拶をしてゐないと云つて。」
 澤田は、勝平をグン/\麓の方へ、園遊会の賑ひと混雑の方へ引きずり込まうとした。
「いや、もう少しこの儘にして置いて下さい。今日一時から、門の処で一時間半も立ち続けてゐた上に、先刻|三鞭酒《シャンペンしゆ》を、六七杯も重ねたものだから。もう暫らく捨てゝ置いて下さい。直ぐ行きますよ、後から直ぐ。」
 さう云つて、捕へられてゐた腕を、スラリと抜くと、澤田はその機《はづ》みで、一間ばかりひよろひよろと下へ滑つて行つたが、其処で一寸踏み止まると、
「それぢや後ほど。」と云つたまゝ空になつた杯《コップ》を、右の手で振り廻すやうにしながら、ふら/\丘の麓にある模擬店の方へ行つてしまつた。
 園内の数ヶ所で始まつてゐる余興は、それ/″\に来会した人々を、分け取りにしてゐるのだらう。勝平の立つてゐる此の広い丘の上にも五六人の人影しか、残つてゐなかつた。勝平に付き纏つてゐた芸妓達も、先刻《さつき》踊りが始まる拍子木が鳴ると、皆その方へ馳け出してしまつた。
 が、勝平は四辺《あたり》に人のゐないのが、結局気楽だつた。彼は、其処に置いてある白い陶製の腰掛に腰を下しながら、快い休息を貪つてゐた。心の中は、燃ゆるやうな得意さで一杯になりながら。
 彼が、暫らく、ぼんやりと咲き乱れてゐる八重桜の梢越しに、薄青く澄んでゐる空を、見詰めてゐる時だつた。
「茲は静かですよ。早く上つていらつしやい。」と、近くで若い青年の声がした。ふと、その方を見ると、スラリとした長身に、学校の制服を着けた青年が、丘の麓を見下しながら、誰かを麾《さしまね》いてゐる所だつた。
 青年は、今日招待した誰かゞ伴つて来た家族の一人であらう。勝平には、少しも見覚えがなかつた。青年も、此の家の主人公が、こんな淋しい処に、一人ゐようなどとは、夢にも気付いてゐないらしく、麓の方を麾いてしまふと、ハンカチーフを出して、其処にある陶製の腰掛の埃を払つてゐるのだつた。
 急に、丘の中腹で、うら若い女の声がした。
「まあ、ひどい混雑ですこと。妾《わたし》いやになりましたわ。」
「どうせ、園遊会なんてかうですよ。あの模擬店の雑沓は、何うです。見てゐる丈でも、あさましくなるぢやありませんか。」と、青年は丘の中腹を、見下しながら、答へた。
 それには何とも答へないで、昇つて来るらしい人の気勢《けはひ》がした。青年の言葉に、一寸傷つけられた勝平は、ぢつと其方を、睨むやうに見た。最初、前髪を左右に分けた束髪の頭の形が見えた。それに続いて、細面の透き通るほど白い女の顔が現れた。

        三

 やがて、女は丘の上に全身を現した。年は十八か九であらう。その気高い美しさは、彼女の頭上に咲き乱れてゐる八重桜の、絢爛たる美しさをも奪つてゐた。目も醒むるやうな藤納戸色の着物の胸のあたりには、五色の色糸のかすみ模様の繍《ぬひ》が鮮かだつた。そのぼかされた裾には、さくら草が一面に散り乱れてゐた。白地に孔雀を浮織にした唐織の帯には、帯止めの大きい真珠が光つてゐた。
「疲れたでせう。お掛けなさい。」
 青年は、埃を払つた腰掛を、女に勧めた。彼女は進められるまゝに、腰を下しながら、横に立つてゐる青年を見上げるやうにして云つた。
「妾《わたし》来なければよかつたわ。でも、お父様が一緒に行かう/\云つて、お勧めになるものですから。」
「僕も、妹のお伴で来たのですが、かう混雑しちや厭ですね。それに、此の庭だつて、都下の名園ださうですけれども、ちつともよくないぢやありませんか。少しも、自然な素直な所がありやしない。いやにコセ/\してゐて、人工的な小刀細工が多すぎるぢやありませんか。殊に、あの四阿《あづまや》の建て方なんか厭ですね。」
 年の若い二人は、此日の園遊会の主催者なる勝平が、たゞ一人こんな淋しい処にゐようなどとは夢にも考へ及ばないらしく、勝平の方などは、見向きもしないで話し続けた。
「お金さへかければいゝと思つてゐるのでせうか。」
 美しい令嬢は、その美しさに似合はないやうな皮肉な、口の利き方をした。
「どうせ、さうでせう。成金と云つたやうな連中は、金額と云ふ事より外には、何にも趣味がないのでせう。凡ての事を金の物差で計らうとする。金さへかければ、何でもいゝものだと考へる。今日の園遊会なんか、一人宛五十円とか百円とかを、入れるとか何とか云つてゐるさうですが、あの俗悪な趣向を御覧なさい。」
 青年は、何かに激してゐるやうに、吐き出すやうに云つた。
 先刻から、聞くともなしに、聞いてゐた勝平は、烈しい怒《いかり》で胸の中が、煮えくり返るやうに思つた。彼は、立ち上りざま、悪口を云つてゐる青年の細首を捕へて、邸の外へ放り出してやりたいとさへ思つた。彼は若い時、東京に出たときに労働をやつた時の名残りに、残つてゐる二の腕の力瘤を思はず撫でた。が、遉《さすが》に彼の位置が、つい三四分前まで、あんなに誇らしく思つてゐた彼の社会的位置が彼のさうした怒を制して呉れた。彼は、ムラ/\と湧いて来る心を抑へながら、青年の云ふことを、ぢつと聞き澄してゐた。
「成金だとか、何とかよく新聞などに、彼等の豪奢な生活を、謳歌してゐるやうですが、金で贏《かち》うる彼等の生活は、何《ど》んなに単純で平凡でせう。金が出来ると、女色を漁る、自動車を買ふ、邸を買ふ、家を新築する、分りもしない骨董を買ふ、それ切りですね。中に、よつぽど心掛のいゝ男が、寄附をする。物質上の生活などは、いくら金をかけても、直ぐ尽きるのだ。金で、自由になる芸妓などを、弄んでゐて、よく飽きないものですね。」
 青年は、成金全体に、何か烈しい恨みでもあるやうに、罵りつゞけた。
「飽きるつて。そりやどうだか、分りませんね。貴方のやうに、敏感な方なら、直ぐに飽きるでせうが、彼等のやうに鈍い感じしか持つてゐない人達は、何時迄同じことをやつてゐても飽きないのぢやなくつて!」女は、美しい然し冷めたい微笑を浮べながら云つた。
「貴方は、悪口は僕より一枚上ですね。ハヽヽヽヽヽ。」
 二人は相顧みて、会心の笑ひを笑ひ合つた。
 黙つて聞いてゐた勝平の顔は、憤怒のため紫色になつた。

        四

 まだ年の若い元気な二人は、自分達の会話が、傍に居合す此邸の主人の勝平にどんな影響を与へてゐるかと云ふ事は、夢にも気の付いてゐないやうに、無遠慮に自由に話し進んだ。
「でも、お招《よ》ばれを受けてゐて、悪口を云ふのは悪いことよ。さうぢやなくつて。」
 令嬢は、右の手に持つてゐる華奢な象牙骨の扇を、弄《まさぐ》りながら、青年の顔を見上げながら、遉《さすが》に女らしく云つた。
「いや、もつと云つてやつてもいゝのですよ。」と、青年はその浅黒い男性的な凜々しい顔を、一層引き緊めながら、「第一華族階級の人達が、成金に対する態度なども、可なり卑しいと思つてゐるのですよ。平生門閥だとか身分だとか云ふ愚にも付かないものを、自慢にして、平民だとか町人だとか云つて、軽蔑してゐる癖に、相手が金があると、平民だらうが、成金だらうが、此方《こつち》からペコ/\して接近するのですからね。僕の父なんかも、何時の間にか、あんな連中と知己《しりあひ》になつてゐるのですよ。此間も、あんな連中に担がれて、何とか云ふ新設会社の重役になるとか云つて、騒いでゐるものですから、僕はウンと云つてやつたのですよ。」
「おや! 今度は、お父様にお鉢が廻つたのですか。」女は、青年の顔を見上げて、ニツコリ笑つた。
「其処へ来ると、貴女のお父様なんか立派なものだ。何処へ出しても恥かしくない。いつでも、清貧に安んじていらつしやる。」青年は靴の先で散り布いてゐる落花を踏み躙りながら云つた。
「父のは病気ですのよ。」女は、一寸美しい眉を落し「あんなに年が寄つても、道楽が止められないのですもの。」さう云つた声は、一寸淋しかつた。
「道楽ぢやありませんよ。男子として、立派な仕事ぢやありませんか。三十年来貴族院の闘将として藩閥政府と戦つて来られたのですもの。」
 青年は、女を慰めるやうに云つた。が、先刻成金を攻撃したときほどの元気はなかつた。二人は話が何時か、理に落ちて来た為だらう。孰《ど》ちらからともなく、黙つてしまつた。青年は、他の一つの腰掛を、二三尺動かして来て、女と並んで腰をかけた。生《なま》あたゝかい晩春の微風が、襲つて来た為だらう。花が頻りに散り始めた。
 勝平は先刻から、幾度此の場を立ち去らうと思つたか、分らなかつた。が、自分に対する悪評を怖れて、コソ/\と逃げ去ることは、傲岸な彼の気性が許さなかつた。張り裂けるやうな憤怒を、胸に抑へて、ぢつと青年の攻撃を聞いてゐたのであつた。
 彼は、つい十分ほど前まで、今日の園遊会に集まつてゐる、凡ての人々は自分の金力に対する讃美者であると思つてゐた。讃美者ではなくとも、少くとも羨望者であると思つてゐた。否少くとも、自分の持つてゐる金の力|丈《だけ》は、認めて呉れる人達だと思つてゐた。今日集まつてゐる首相を初め、いろ/\な方面の高官も、M公爵を筆頭に多くの華族連中も、海軍や陸軍の将官達も、銀行や会社の重役達も、学者や宗教家や、角力や俳優達も、自分の持つてゐる金力の価値|丈《だけ》は認めて呉れる人だと思つてゐた。認めてゐて呉れゝばこそやつて来たのだと思つてゐた。それだのに、歯牙にもかけたくない、生若い男女の学生が、たとひ貴族の子女であるにしろ、今日の会場の中央で、たとひ自分の顔を見知らぬにせよ、自分の目前で、自分の生活を罵るばかりでなく、自分が命綱《いのちづな》とも思ふ金の力を、頭から否定してゐる。金を持つてゐる自分達の生活を、否人格まで、散々に辱めてゐる。さう考へて来ると、先刻まで晴やかに華やかに、昂ぶつてゐた勝平の心は、苦い韮《にら》を喰つたやうに、不快な暗いものになつてしまつた。彼は、かすり傷を負つた豹のやうな、凄い表情をしながら、二人の後姿を睨んでゐた。もう一言何とか言つて見ろ。そのまゝには済まさないぞ。彼の激昂した心がさうした呻《うめき》を洩して居た。

        五

 さうした恐ろしい豹が、彼等の背後に蹲まつてゐようとは、気の付いてゐない二人は、今度は四辺《あたり》を憚るやうに、しめやかに何やら話し始めた。
 もう一言、学生が何か云つたら、飛び出して、面と向つて云つてやらうと、逸《はや》つてゐた勝平も、相手が急に静《しづか》になつたので、拍子抜がしながら、而もその儘立ち去ることも、業腹なので、二人の容子を、ぢつと睨み詰めてゐた。
 自分に対する罵詈のために、カツとなつてしまつて、青年の顔も少女の顔も、十分眼に入らなかつたが、今は少し心が落着いたので、二人の顔を、更めて見直した。
 気が付いて見れば見るほど、青年は男らしく、美しく、女は女らしく美しかつた。殊に、少女の顔に見る浄い美しさは、勝平などが夢にも接したことのない美しさだつた。彼は、心の中で、金で購つた新橋や赤坂の、名高い美妓の面影と比較して見た。何と云ふ格段な相違が其処にあつただらう。彼等の美しさは、造花の美しさであつた。偽真珠の
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