の恐れ気もないやうに、翼を拡げた白孔雀のやうな、け高さと上品さとで、その踏段から地上へと、スツクと降り立つたのは、まだうら若い一個の女性だつた。降りざまに、その面《おもて》を掩うてゐた黒い薄絹のヴェールを、かなぐり捨てゝ、無造作に自動車の中へ投げ入れた。人々の環視の裡に、微笑とも嬌羞とも付かぬ表情を、湛へた面《おもて》は、くつきりと皎《しろ》く輝いた。
 白襟紋付の瀟洒な衣《きぬ》は、そのスラリとした姿を一層気高く見せてゐた。彼女は、何の悪怯《わるび》れた容子も見せなかつた。打ち並ぶ名士達の間に、細く残された通路を、足早に通り抜けて、祭壇の右の婦人達の居並ぶ席に就いた。
 会葬者達は、場所柄の許す範囲で、銘々熱心な眼で、此の美しい無遠慮な遅参者の姿を追つた。が、さうした眼の中でも、信一郎のそれが、一番熱心で一番輝いてゐたのである。
 彼は、何よりも先きに、此女性の美しさに打たれた。年は二十《はたち》を多くは出てゐなかつたゞらう。が、さうした若い美しさにも拘はらず、人を圧するやうな威厳が、何処かに備はつてゐた。
 信一郎は、頭の中で自分の知つてゐる、あらゆる女性の顔を浮べて見た。が、そのどれもが、此婦人の美しさを、少しでも冒すことは出来なかつた。
 泰西の名画の中からでも、抜け出して来たやうな女性を、信一郎は驚異に似た心持で暫らくは、茫然と会衆の頭越しに見詰めてゐたのである。

        三

 信一郎が、その美しき女性に、釘付けにされたやうに、会葬者の眸も、一時は此の女性の身辺に注がれた。が、その裡に、衆僧が一斉に始めた読経の朗々たる声は、皆の心持を死者に対する敬虔な哀悼に引き統《す》べてしまつた。
 が、此女性が、信一郎の心の裡に起した動揺は、お経の声などに依つて却々《なか/\》静まりさうにも見えなかつた。
 彼は、直覚的に此女性が、死んだ青年に対して、特殊な関係を持つてゐることを信じた。此女性の美しいけれども颯爽たる容姿が、あの返すべき時計に鏤刻《るこく》されてゐる、鋭い短剣の形を想ひ起さしめた。彼は、読経の声などには、殆ど耳も傾けずに、群衆の頭越しに、女性の姿を、懸命に見詰めたのである。
 が、見詰めてゐる中《うち》に、信一郎の心は、それが瑠璃子であるか、時計の持主であるかなどと云ふ疑問よりも、此の女性の美しさに、段々囚はれて行くのだつた。
 此の女性の顔形は、美しいと云つても、昔からある日本婦人の美しさではなかつた。それは、日本の近代文明が、初《はじめ》て生み出したやうな美しさと表情を持つてゐた。明治時代の美人のやうに、個性のない、人形のやうな美しさではなかつた。その眸は、飽くまでも、理智に輝いてゐた。顔全体には、爛熟した文明の婦人に特有な、智的な輝きがあつた。
 婦人席で多くの婦人の中に立つてゐながら、此の女性の背後|丈《だけ》には、ほの/″\と明るい後光が、射してゐるやうに思はれた。
 年頃から云へば娘とも思はれた。が、何処かに備はつてゐる冒しがたい威厳は、名門の夫人であることを示してゐるやうに思はれた。
 信一郎が、此の女性の美貌に対する耽美に溺れてゐる裡に、葬式のプログラムはだん/\進んで行つた。死者の兄弟を先に一門の焼香が終りかけると、此の女性もしとやかに席を離れて死者の為に一抹の香を焚いた。
 やがて式は了つた。会葬者に対する挨拶があると、会葬者達は、我先にと帰途を急いだ。式場の前には俥と自動車とが暫くは右往左往に、入り擾れた。
 信一郎は、急いで退場する群衆に、わざと取残された。彼は群衆に押されながら、意識して、彼の女性に近づいた。
 女性が、式場を出外《では》づれると、彼女はそこで、四人の大学生に取り捲かれた。大学生達は皆死んだ青年の学友であるらしかつた。彼女は何か二言三言言葉を換すと乗るべき自動車に片手をかけて、華やかな微笑を四人の中の、誰に投げるともなく投げて、その娜《しな》やかな身を飜して忽ち車上の人となつたが、つと上半身を出したかと思ふと、
「本当にさう考へて下さつては、妾《わたくし》困りますのよ。」と、嫣然《えんぜん》と云ひ捨てると、扉《ドア》をハタと閉ぢたが自動車はそれを合図に散りかゝる群衆の間を縫うて、徐ろに動き始めた。
 大学生達は、自動車の後を、暫らく立ち止つて見送ると、その儘肩を揃へて歩き出した。信一郎も学生達の後を追つた。学生達に話しかけて、此女性の本体を知ることが時計の持主を知る、唯一の機会であるやうに思つたからである。
 学生達は、電車に乗る積《つもり》だらう。式場の前の道を、青山三丁目の方へと歩き出したのであつた。信一郎は、それと悟られぬやう一間ばかり、間隔を以て歩いてゐた。が、学生達の声は、可なり高かつた。彼等の会話が、切れ切れに信一郎にも聞えて来た。
「青木の変死は
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