つた。
 自分の罵倒が、その的の本人に聴かれたと云ふことが、明かになると、青年も遉《さすが》に当惑の容子を見せた。が、彼は冷静に落着いて答へた。
「それはとんだ失礼を致しました。が、つい平生の持論が出たものですから、何とも止むを得ません。僕の不謹慎はお詫びします。が、持論は持論です。」
 さう云ひながら、青年は冷めたい微笑を浮べた。
 自分が飛び出して出さへすれば、周章狼狽して、一溜りもなく参つてしまふだらうと思つてゐた勝平は、当が外れた。彼は、相手が思ひの外に、強いのでタヂ/\となつた。が、それ丈《だけ》彼の憤怒は胸の裡に湧き立つた。
「いや、お若いときは、金なんかと云つて、よく軽蔑したがるものです。私なども、その覚えがあります。が、今にお判りになりますよ。金が、人生に於てどんなに大切であるかが。」
 勝平は、出来る丈《だけ》高飛車に、上から出ようとした。が、青年は少しも屈しなかつた。
「僕などは、さうは思ひません。世の中で、高尚な仕事の出来ない人が、金でも溜めて見ようと云ふことに、なるのぢやありませんか。僕は事業を事業として、楽しんでゐる実業家は好きです。が、事業を金を得る手段と心得たり、又得た金の力を他人に、見せびらかさうとするやうな人は嫌ひです。」
 もう、其処に何等の儀礼もなかつた。それは、言葉で行はれてゐる格闘だつた。青年の顔も蒼ざめてゐた。勝平の顔も蒼ざめてゐた。
「いや、何とでも仰しやるがよい。が、理窟ぢやありません。世の中のことは、お坊ちやんの理想|通《どほり》に行くものではありません。貴君にも金の力がどんなに恐ろしいかが、お判りになるときが来ますよ。いや、屹度《きつと》来ますよ。」
 勝平は、その大きい口を、きつと結びながら青年を睨みすゑた。が、青年の直ぐ傍に、立ち竦んだまゝ、黙つてゐる彫像のやうな姿に目を転じたとき、勝平の心は、再びタヂ/\となつた。その美しい顔は勝平に対する憎悪に燃えてゐたからである。

        七

 青年が、何かを答へようとしたとき、女は突如《いきなり》彼を遮ぎつた。
「もういゝぢやございませんか。私達が、参つたのがいけなかつたのでございますもの。御主人には御主人の主義があり貴君《あなた》には貴君の主義があるのですもの。その孰れが正しいかは、銘々一生を通じて試して見る外はありませんわ。さあ、失礼をしてお暇《いとま》しようぢやありませんか。」
 少女は、青年より以上に強かつた。其処には火花が漏れるやうな堅さがあつた。それ丈、勝平に対する侮辱も、甚だしかつた。こんな男と言葉を交へるのさへ、馬鹿々々しいと、云つた表情が、彼女の何処かに漂つてゐた。孔雀のやうに美しい彼女は、孔雀のやうな態度を持つてゐるのだつた。
 青年も、自分の態度を、余り大人気ないと思ひ返したのだらう。女の言葉を、戈を収める機会にした。
「いや、飛んだ失礼を申上げました。」
 さう云ひ捨てたまゝ、青年は女と並んで足早に丘を下つて行つた。敵に、素早く身を躱《かは》されたやうに、勝平は心の憤怒を、少しも晴さない中に、やみ/\と物別れになつたのが、口惜しかつた。もつと、何とか云へばよかつた、もつと、青年を恥しめてやればよかつたと、口惜しがつた。睦《むつま》じさうに並んで、遠ざかつて行く二人を見てゐると、勝平は自分の敗れたことが、マザ/\と判つて来た。青年の罵倒に口惜しがつて、思はず飛び出したところを、手もなく扱はれて、うまく肩透しを喰つたのだつた。どんな点から、考へて見ても、自分にいゝ所はなかつた。敗戦だつた。醜い敗戦だつた。さう思ふと、わざ/\五万を越す大金を消《つか》つて、園遊会をやつたことまでが、馬鹿らしくなつた。大臣や総裁や公爵などの挨拶を受けて、有頂天にまで行つた心持が、生若い男女のために地の底へまで引きずり込まれたのだ。
 彼の憤《いきどほ》りと恨みとが、胸の中で煮えくり返つた時だつた。その憤りと恨みとの嵐の中に、徐々に鎌首を擡げて来た一念があつた。それは、云ふまでもなく、復讐の一念だつた。さうだ、俺の金力を、あれほどまで、侮辱した青年を、金の力で、骨までも思ひ知らしてやるのだ。青年に味方して、俺にあんな憎悪の眼を投げた少女を、金の力で髄までも、思ひ知らしてやるのだ。さう思ふと、彼の胸に、新しい力が起つた。
 青年の父の杉野直と云ふ子爵も、少女の父の唐澤男爵も、共に聞えた貧乏華族である。黄金の戈の前に、黄金の剣の前には、何の力もない人達だつた。
 が、何うして戦つたらいゝだらう。彼等の父を苛めることは何でもないことに違ひない。が、単なる学生である彼等を、苛める方法は容易に浮かんで、来なかつた。その時に、勝平の心に先刻の二人の様子が浮かんだ。睦じく語つてゐる恋人同士としての二人が浮かんだ。それと同時に、電《いな
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