へきれなくなつたと見え、男泣きに泣き出してしまつた。

       ×

 青木稔と瑠璃子との死に就いて、都下の新聞紙は、その社会部面の過半を割いて、いろ/\に書き立てた。が、そのどれもが、瑠璃子夫人を男の血を吸ふ、美しい吸血魔《ヴァムパイア》とすることに一致した。中には、夫人の死を、妖婦カルメンの死に比してゐるものもあつた。夫人の華麗奔放、放縦|不羈《ふき》の生活を伝聞してゐた人々は、新聞の報道を少しも疑はなかつた。夫人の美しさを頌《たゝ》へると同時に、夫人の態度を非難する嵐のやうな世評の中に在つて、夫人の本当の心、その本当の姿を知つてゐるものは、美奈子と直也の外にはなかつた。
 が、世の中の千万人から非難されようとも、彼女がこの世の中で愛した、たつた二人の男性と女性とから、理解されてゐることは、大輪の緋牡丹の崩るゝ如く散り去つた彼女に取つて、さぞ本望であつただらう。

       ×

 記憶のよい読者は、去年の二科会に展覧された『真珠夫人』と題した肖像画が、秋の季節《シーズン》を通じての傑作として、美術批評家達の讃辞を浴びたことを記憶してゐるだらう。
 それは、清麗高雅、真珠の如き美貌を持つた若き夫人の立姿であつた。而も、この肖像画の成功はその顔に巧みに現はされた自覚した近代的女性に特有な、理智的な、精神的な、表情の輝きであると云はれてゐた。その絵を親しく見た人は、画面の右の端に、K. K. と署名《サイン》されてゐるのに気が付いただらう。それは、妹の保護のもとに、芸術の道に精進してゐた唐沢光一が、妹の横死を悼む涙の裡に完成した力作で、彼女に対する彼が、唯一の手向であつたのであらう。

       ×

 瑠璃子を失つた美奈子の運命が、此先|何《ど》うなつて行くか、それは未来のことであるから、此の小説の作者にも分らない。が、われ/\は彼女を安心して、直也の手に委せて置いてもいゝだらうと思ふ。



底本:「菊池寛全集 第五巻」高松市菊池寛記念館刊行、文藝春秋発売
   1994(平成6)年3月15日発行
底本の親本:「菊池寛全集 第六巻」中央公論社
   1937(昭和12)年9月21日刊行
初出:「大阪毎日新聞」、「東京日々新聞」
   1920(大正9)年6月9日〜12月22日
初収単行本:「真珠夫人(前編・後編)」新潮社
   1920(大正9)年
前へ 次へ
全313ページ中312ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング