顫ひ戦かないのですか。貴女の戯れの作つた恐ろしい結果に戦慄しないのですか。」
信一郎は、可なり興奮して突きかゝつた。
が、夫人は冷然として、氷の如く冷かに黙つてゐた。
「奥さん! 黙つていらしつては分りません。貴女は! 貴女は此ノートを読んで何ともお考へにならないのですか。」
信一郎は、いらだつて叫んだ。
「考へないことはありませんわ。」
彼女の沈黙が冷かな如く言葉そのものも冷かであつた。
「お考へになるのなら、そのお考へを承はらうぢやありませんか。」
信一郎は益々いらだつた。
「でも、死んだ方に悪いのですもの。」
「死んだ方に悪い! 貴女はまだ死者を蔑まうとなさるのですか。死者を誣《し》ひようとなさるのですか。」
信一郎は火の如く激昂した。
その激昂に、水を浴びせるやうに夫人は云つた。
「でも、妾《わたくし》、此ノートを読んで考へましたことは、青木さんも普通の男性と同じやうに、自惚れが強くて我儘であると云ふこと丈《だけ》ですもの。」
四
夫人の言葉は、信一郎を唖然たらしめた。彼は呆気に取られて、夫人の美しい冷かな顔を見詰めてゐた。どんな妖婦でも、昔の毒婦伝に出て来るやうな恐ろしい女でも、自分を恨んで死んだ男の遺書《かきおき》を、かうまで冷酷に評し去る勇気はないだらう。自分を恨んでゐる、血に滲んだ言葉を自惚れと我儘だと云つて評し去る女はないだらう。
が、一時の驚きが去ると共に、信一郎の心に残つたものは、夫人に対する激しい憎悪だつた。女ではない。人間ではない。女らしさと、人間らしさとを失つた美しい怪物である。その人を少しでも人間らしく考へた自分が、間違つてゐたのだ。彼は心の中で憎悪を吐き捨てるやうに云つた。
「いやもう、なにも言ひたくありません。貴女は、貴女のお考へで、男性を弄ぶことをおつゞけなさい! その中に、純真な男性の怒《いかり》が、貴女を粉微塵に砕く日が来るでせう。」
信一郎は、床を踏み鳴らさんばかりに、激昂しながら、叫んだ。
が、信一郎が激すれば、激するほど、夫人は冷静になつて行つた。彼女は、冷たい冷笑をさへ頬の辺りに、浮べながら、落着き返つて云つた。
「男性を弄ぶ! 貴君《あなた》は、女性が男性を弄ぶことを、そんなに恐ろしい罪悪のやうに考へていらつしやるのですか。だから、妾《わたくし》が男性の我儘だと云ふのですわ。
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