丈《だけ》人目を惹き易い女性と、たつた二人連れ立つて、公然と入つて行くことが、可なり気になつた。
 が、信一郎のさうした心遣ひを、救けるやうに、舞台では今丁度幕が開いたと見え、廊下には、遅れた二三の観客が、急ぎ足に、座席《シート》へ帰つて行くところだつた。
 夫人と並んで、広い空しいボックスの一番前方に、腰を下したとき、信一郎はやつと、自分の心が落着いて来るのを感じた。舞台が、煌々と明るいのに比べて、観客席が、ほの暗いのが嬉しかつた。
 夫人は席へ着いたとき、二三分ばかり舞台を見詰めてゐたが、ふと信一郎の方を振り返ると、
「本当に御迷惑ぢやございませんでしたの。芝居はお嫌ひぢやありませんの。」
「いゝえ! 大好きです。尤も、今の歌舞伎芝居には可なり不満ですがね。」
「妾《わたくし》も、さうですの。外に行く処もありませんからよく参りますが、妾《わたくし》達の実生活と歌舞伎芝居の世界とは、もう丸きり違つてゐるのでございますものね。歌舞伎に出て来る女性と云へば、みんな個性のない自我のない、古い道徳の人形のやうな女ばかりでございますのね。」
「同感です。全く同感です。」
 信一郎は、心から夫人の秀れた見識を讃嘆した。
「親や夫に臣従しないで、もつと自分本位の生活を送つてもいゝと思ひますの。古い感情や道徳に囚はれないで、もつと解放された生活を送つてもいゝと思ひますの。英国のある近代劇の女主人公が、男が雲雀《スカイラーク》のやうに、多くの女と戯れることが出来るのなら、女だつて雲雀《スカイラーク》のやうに、多くの男と戯れる権利があると申してをりますが、さうぢやございませんでせうか。妾《わたくし》もさう思ふことがございますのよ。」
 夫人は、周囲の静けさを擾さないやうに、出来る丈《だけ》信一郎の耳に口を寄せて語りつゞけた。夫人の温い薫るやうな呼吸が、信一郎のほてつた頬を、柔かに撫でるごとに、信一郎は身体中が、溶《とろ》けてしまひさうな魅力を感じた。
「でも、貴君《あなた》なんか、さうした女性は、お好きぢやありませんでせうね。」さう、信一郎の耳に、あたゝかく囁いて置きながら、夫人は顔を少し離して嫣然《につこり》と笑つて見せた。男の心を、掻き擾してしまふやうな媚が、そのスラリとした身体全体に動いた。
 夫人の大胆な告白と、美しい媚のために、信一郎は、目が眩んだやうに、フラ/\としてしま
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