とを考へると、何も考へてをられなくなつたのだ。」
 父は、さう云ひながら、心の裡の苦しさに堪へられないやうに、頻りに身を悶えた。
「が、扉《ドア》の外でお前が突然叫び出した声を聞くと、刀を持つてゐた俺《わし》の手が、しびれ[#「しびれ」に傍点]てしまつたやうに、何うしても俺《わし》の思ひ通《どほり》に、動かないのだ。未練だ! 未練だ! と、心で叱つても、手が何《ど》うしても云ふことを聴かないのだ。俺《わし》は、今初めてお前に対する父としての愛が、名誉心や政治上の野心などよりも、もつと大きいことが分つたのだ。俺《わし》は、社会上の位置を失つても、お前の為に生き延びようと思つたのだ。破廉恥罪の名を被《き》ても、お前の父として、生き延びようと思つたのだ。名誉や位置などは、なくなつても、お前さへあれば、まだ生き甲斐があると云ふことが、分つたのだ。いや名誉や野心のために、生きるのよりも、自分の子供のために、生きる方が人間として、どれほど立派であるかと云ふことが、今やつと分つたのだ。俺《わし》は、今光一を追出したことを後悔する。親の野心のために、子を犠牲にしようとしたことを後悔する。瑠璃子! お前のために、どんな汚名を忍んでも生き延びるのだ。お前も、罪人のお父様を見捨てないで、いつまでも俺《わし》の傍を離れて呉れるな。」
 父の顔は今、子に対する愛に燃えて、美しく輝いてゐた。彼は、子に対する愛に依つて、その苦しみの裡から、その罪の裡から、立派に救はれようとしてゐるのだつた。

        六

 さうだ! 子の心は、凄じい憤怒と復讐の一念とに、湧き立つた。父が、子に対する愛のために、敵の与へた恥辱を忍ばうとするのに拘はらず、子の心は敵に対する反抗と憎悪とのために、狂つてしまつた。
「お父様、それでいゝのでございませうか。お父様! 金さへあれば悪人がお父様のやうな方を苦しめてもいゝのでございませうか。而も、国の法律までが、そんな悪人の味方をするなどと云ふ、そんなことが、許されることでございませうか。」
 瑠璃子は、平生のおとなしい、慎しやかな彼女とは、全く別人であるやうに、熱狂してゐた。父は子の激昂を宥《なだ》めるやうに、「だが瑠璃子! 悪人がどんな卑しい手段を講じてもお父様さへ、しつかりしてゐればよかつたのだ。国の法律に触れたのはやつぱり俺《わし》の不心得だつたのだ。」

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