時々、やりますので。いや、閣下のお腹立《はらだち》は、全く御尤もです。私からも、主人に反省を促すやうに、申します事でございます。それでは、これでお暇《いとま》致します。」
 丁度|烏賊《いか》が、敵を怖れて、逃げるときに厭な墨汁を吐き出すやうに、この男も出鱈目な、その場限りの、遁辞を並べながら、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]卒として帰つて行つた。
 さうだ! 父は最初の悪魔の突撃を物の見事に一蹴したのだつた。この次ぎの期限までには、半年の余裕がある。その間には、父の親友たる本多男爵も帰つて来る。さう思ふと、瑠璃子はホツと一息ついて安心しなければならない筈だつた。が、彼女の心は、一つの不安が去ると共に、又別な、もつと性質《たち》のよくない不安が、何時の間にか入れ換つてゐた。
「瑠璃さん! お前にも心配をかけて済まなかつたなう。もう安心するがいゝ。これで何事もないのだ。」
 父は、客が帰つた後で、瑠璃子の肩に手をかけながら慰め顔にさう云つた。
 が、瑠璃子の心は、怏々として楽しまなかつた。
『お父様! あなたは、あの大金を何うして才覚なさつたのです。』
 さう云ふ不安な、不快な、疑ひが咽喉まで出かゝるのを、瑠璃子は、やつと抑へ付けた。


 ユーヂット

        一

 一家の危機は過ぎた。六月は暮れて、七月は来た。が、父の手文庫の中に奇蹟のやうに見出された、三万円以上の、巨額な紙幣に対する、瑠璃子の心の新しい不安は、日の経つに連れても、容易には薄れて行かなかつた。
 七月も半《なかば》になつた。庭先に敷き詰めた、白い砂利の上には、瑠璃子の好きな松葉牡丹が、咲き始めた。真紅や、白や、琥珀のやうな黄や、いろ/\変つた色の、少女のやうな優しい花の姿が、荒れた庭園の夏を彩る唯一の色彩だつた。
 荘田の、思ひ出す丈《だけ》でも、憤《いきどほ》ろしい面影も、だん/\思ひ出す回数が、少くなつた。鷲鼻の男の顔などは、もう何時の間にか、忘れてしまつた。凡てが、一場の悪夢のやうに、その厭な苦い後感も何時しか消えて行くのではないかと思はれた。
 が、それは瑠璃子の空しい思違《おもひちがひ》だつた。悪魔は、その最後の毒矢を、もう既に放つてゐたのだつた。
 七月の末だつた。父は、突然警視総監のT氏から、急用があると云つて、会見を申し込まれた。父は、T氏とは公開の席で、二三度
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