に、瑠璃子と顔を合はせたときにも、苦り切つたまゝ一言も云はなかつた。昨日《きのふ》よりも色が蒼く、眼が物狂はしいやうな、不気味な色を帯びてゐた。瑠璃子もなるべく父の顔を見ないやうに、俯いたまゝ食事をした。それほど、父の顔は傷《いたま》しく惨《みじめ》に見えた。昼の食事に顔を合した時にも、親子は言葉らしい言葉は、交さなかつた。まして、今日が呪はれた六月三十日であると云つたやうな言葉は、孰《どち》らからも、おくび[#「おくび」に傍点]にも出さなかつた。その癖、二人の心には六月三十日と云ふ字が、毒々しく烙《や》き付けられてゐるのだつた。
が、長い初夏の日が、漸く暮れかけて、夕日の光が、遥かに見える山王台の青葉を、あか/\と照し出す頃になつても、あの男は来なかつた。あんなに、心配した今日が、何事も起らずに済むのだと思ふと、瑠璃子は妙に拍子抜けをしたやうな、心持にさへならうとした。
が、然し悪魔に手抜かりのある筈はなかつた。その犠牲《いけにへ》が、十分苦しむのを見すまして、最後に飛びかゝる猫のやうに瑠璃子父子が、一日を不安な期待の裡に、苦しみ抜いて、やつと一時逃れの安心に入らうとした間隙に、かの悪魔の使者は護謨輪《ごむわ》の車に、音も立てず、そつと玄関に忍び寄つたのだつた。
「いや、大変遅くなりまして相済みません。が、遅く伺ひました方が、御都合が、およろしからうと思ひましたのですから、お父様は御在宅でせうか。」
瑠璃子が、出迎へると、その男は妙な薄笑ひをしながら、言葉|丈《だけ》はいやに、鄭重だつた。
来る者が、到頭来たのだと思ひながらも、瑠璃子はその男の顔を見た瞬間から、憎悪と不快とで、小さい胸が、ムカムカと湧き立つて来るのだつた。
「お父様! 荘田の使が参りました。」
さう父に取り次いだ瑠璃子の声は、かすかに顫へを帯びるのを、何うともする事が出来なかつた。
「よし、応接室に通して置け。」
さう云ひながら、父は傍の手文庫を無造作に開いた、部屋の中は可なり暗かつたが、その開かれた手文庫の中には、薄紫の百円紙幣の束が、――さうだ一寸にも近い束が、二つ三つ入れられてあるのが、アリ/\と見えた。
瑠璃子は、思はず『アツ!』と声を立てようとした。
七
父の手文庫に思ひがけなくも、ほのかな薄紫の紙幣の厚い束を、発見したのであるから、瑠璃子が声を立てる
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