に畳まれてゐる鼻、厚い唇、いかにも自我の強さうな表情、その顔付を思ひ出して見る丈《だけ》でも、イヤな気がした。そんな男と、云ひ争ひをしたことが、執念深い蛇とでも、恨を結び合つたやうに、何となく不安だつた。処が、その男が意外にも自分に婚を求めてゐる。さう思ふ丈でも、彼女は妙な悪寒を感じた。よく伝説の中にある、白蛇などに見込まれた美少女のやうに。
 瑠璃子は、相手の心持が、容易には分らなかつた。容易に、その事を信ずることが出来なかつた。
「本当でございますの? 杉野さんが、本当に荘田と仰しやつたのでございますの?」
「確かに、あの男だと云はないが、何《ど》うも彼奴《あいつ》の事らしい。杉野はお前の話を始める前に、それとなく荘田の事を賞めてゐるのだ。何うも彼奴らしい。金が出来たのに、付け上つて、華族の娘をでも貰ひたい肚らしいが、俺の娘を貰ひに来るなんて狂人の沙汰だ!」
 父は相手の無礼を怒つたものゝ、先方に深い悪意があらうとは思はないらしく、先刻から見ると余程機嫌が直つてゐるらしかつた。
 が、瑠璃子はさうではなかつた。此の求婚を、気紛れだとか、冗談だとか、華族の娘を貰ひたいと云ふやうな単なる虚栄心だとは、何《ど》うしても思はれなかつた。父の一喝に逢つて、這々《はふ/\》の体で、逃げ帰つた杉野子爵は、ほんの傀儡で、その背後に怖ろしい悪魔の手が、動いてゐることを感ぜずにはゐられなかつた。さう思つて来ると、八重桜の下で、自分達二人を、睨み付けた恐ろしい眼が、アリアリと浮んで来た。さう思つて来ると、自分の恋人の父を、自分に対する求婚の使者にした相手のやり方に、悪魔のやうな意地悪さを、感ぜずにはゐられなかつた。
 瑠璃子は思つた。自分が傷つけた蛇は、ホンの僅な恨を酬いるために猛然と、襲ひかゝつてゐるのだと。が、さう思ふと、瑠璃子は却つて、必死になつた。来るならば来て見よ。あんな男に、指一つ触れさせてなるものか。彼女は心の中《うち》でさう決心した。
「いや、杉野の奴一喝してやつたら、一縮みになつて帰つたよ。あゝ云つて置けば、二度と顔向けは出来ないよ。」
 父は、もう凡てが済んでしまつたやうに、何気なく云つた。が、瑠璃子にはさうは思はれなかつた。一度飛び付き損つた蛇は、二度目の飛躍の準備をしてゐるのだ。いや、二度目どころではない。三度目四度目五度目十度目の準備まで整つてゐるのかも知れ
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