出世
菊池寛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)暢気《のんき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)見|出《いだ》して

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 譲吉は、上野の山下で電車を捨てた。
 二月の終りで、不忍の池の面を撫でてくる風は、まだ冷たかったが、薄暖い早春の日の光を浴びている楓や桜の大樹の梢は、もうほんのりと赤みがかっているように思われた。
 ずいぶん図書館へも来なかったなと、譲吉は思った。図書館でゆっくりと半日を暮し得るほどの暇もなかった過去一、二年の生活が、今さらのように振りかえられた。それと同時に、そうした繁劇な生活からやっと逃れることができて、暢気《のんき》に図書館へでも来られるようになった現在の境遇を喜ばずにはおられなかった。
 もう一、二年も来なかったかも知れない。いや職業を得てからは、一度も来なかったかも知れないと、彼は思った。兎の耳のように、ひっそいだように突っ立っている白い建物、安定を保っているようで、そのくせ今にも落ちかかりそうに思われるあの白煉瓦の建物にも、長い間足踏みもしないなと思った。
 図書館のことを考え出すと、彼はその中で過したいろいろな時代の自分の姿が、ひっきりなしに頭の中に浮んできた。彼が、初めて東京へ出てきてから、六、七年間の、暗いみじめな学生生活のどの時代のことを考えても、あの図書館の中で暮した半日なり一日なりの有様が、はっきりと頭のうちに、浮んでこないことはない。
 彼が田舎の中学を出て、初めて東京へ来た時、最初に入った公共の建物は、やっぱりあの図書館であった。本好きの彼にとっては、場所にも人にも、何の馴染みもない東京の中では、図書館がいちばん勝手が分かるようであった。
 田舎の中学生にありがちな、東京崇拝に原因しているいろいろな幻影が、東京における実際の建物、文物、風景、人物に接して、ことごとく崩れていってしまった中でも、図書館に対する満足だけは、いつまでも残っていた。田舎の設備の不十分な蔵書の少ない図書館だけしか知らなかった譲吉の目には、あの図書館がどんなに広大に完成されて見えただろう。その頃の彼には、東京におけるいろいろな設備の中では、図書館のありがたさだけがいちばん身に染みて感ぜられた。
 その時以来、どんなにあの図書館の世話になったことだろう。最初入学した専門学校を退学されて、行きどころもなくぶらぶらと半年ばかりの月日を過さなければならなかった時には、どんなにあの建物のありがたさが分かっただろう。
 高等学校へ入ってからも、幾度通ったかもわからない。まだ、そればかりではない、つい二年前、大学を出てから職業にありつくまでの半年間を、彼はやっぱり図書館で暮していたのだ。その時代の図書館通いは、彼にとってはいちばんみじめなことであった。
 大学を出ても、まだ他人の家の厄介になっていて、何らの職業も、見つからないのに、彼の故郷からは、もう早くから、金を送るようにいってきていた。大学を出さえすれば、すぐにも金が取れるように彼の父や母は思っていた。またそう思わずには、おられなかったのだろう。「譲吉が学校を出るまで」という言葉を、彼らは窮乏から来る苦しみを逃れる、唯一のまじないのように思っていたのだから。譲吉は、自分が就職難に苦しんでいる最中に、早くも金を送れといってくる母の無理解さに、いらいらしながら、自分が学問をしたそのために、家に負わした経済的な致命傷のことを思うと、そうした性急な催促も、もっともと思わずにはおられなかった。
 それだけで仕方なしに、彼はどうにかして、金を儲けることを考えた。そうして、こんな場合に、多少文筆の素養があるものが考えつくように、翻訳をやってみようと思った。彼は、友人の紹介で、ある書店から出版されている「西洋美術叢書」の一巻を翻訳させてもらうことにした。それは、ガードナーという人の書いた「希臘《ギリシャ》彫刻手記」という本であった。金色《こんじき》の唐草模様か何かの表紙の付いた六、七百ページの本であった。またその活字が、邦字の六号活字に匹敵するほどの小さいローマ字で、その上ベッタリと一面に組んであるのであった。一ページを訳するのにも、一時間近くもかかった。その六、七百ページを、ことごとく訳し終って、所定の稿料を貰える日は、茫漠としていつのことだか分からなかった。それでも彼は、勇敢にその仕事を続けていった。その仕事をするほかには、金の取れる当ては、少しもなかったから、彼は毎日のように、厄介になってる家からは比較的に近い、日比谷の図書館へ行って、翻訳を続けてやった。
 その翻訳が、やっと六、七十枚ぐらいでき上った頃だろう。ある日のこと、彼は例の「希臘彫刻手記」と原稿紙と弁当とを、一緒に包んだ風呂敷を提げて、日比谷の図書館へ行ったが、図書館へ行って、仕事に取りかかる前の一休みにと、その日の新聞を読んでいたときに、ふと自分が提げてきたはずの風呂敷包が無いのに気がついた。彼は、おどろいて身のまわりを探し回った。が、彼の座席にも新聞閲覧室のどこにも見当らなかった。よく気を落着けて考えてみると、電車から降りるときに、もうあの包を持っていなかったのに気がついた。電車に乗る時に買った新聞を読む時に風呂敷包が邪魔になったので、自分の背と車台の羽目板の間に置いたことに気がついた。内幸町であわてて降りた時に、すっかり忘れてしまったのだと思った。
 彼は、その場合にそれほど大切な品物をぼんやり忘れてしまう自分の腑甲斐《ふがい》なさがしみじみと情なかった。そんなに、ぼんやりとしていて大切な品物を容易に忘れてしまうようでは、俺は激しい世の中に立っては、とても存在していかれない人間ではあるまいかとさえ思われた。
 彼は茫然とした淋しい情ない心持で、まず三田の車庫へ行ってみた。が、そこにいた監督は「巣鴨の電車ならば、春日町の車庫か、巣鴨の車庫かへ、車掌が届けているでしょう。そんな風呂敷包なら誰も持って行かないでしょう」といった。
 彼は、監督の言葉で、やっと安心して、すぐ引っ返して春日町へ行った。三田から春日町までの、あの長い丁場を、彼はどんなにいらいらした心持で乗ったことだろう。が、春日町へ着いてみると「希臘彫刻手記」は、そこへも来ていなかった。
「ああきっと、本郷回りの電車でしょう。それだと、巣鴨の車庫へ届けたのでしょう」と、そこの監督が、彼の希望を繋いでくれた。が、巣鴨まで行ってみると、そこにもやっぱり「希臘彫刻手記」は来ていなかった。
「見つけた車掌が持ってきたんでしょうが、出発を急いだので、ここへは届けずにまた持って行ったんでしょう。それだと、もう一度三田の車庫へ行ってみたらどうです」と、そこの監督が、また彼の消えかかった希望を繋いでくれた。彼は、また巣鴨から三田までの長い線路を――東京のほとんど端から端を、頼りない不快で乗った。が、三田の車庫にもやっぱり彼の風呂敷包は見出されなかった。
「電気局へ明日あたり行ってごらんなさい。電車内へ遺失したものは、一度は必ずあちらへ集まりますから」と前《ぜん》のと違った車掌が、また彼に一縷の望みを伝えてくれた。
 誰かに持って行かれたのだという疑いが、だんだん明らかな形を取り出した。そう思うと、自分の横に座っていた印半纏《しるしばんてん》の男が浚《さら》って行ったのかも知れないと思った。が、あの男が家へ帰って「希臘彫刻手記」と原稿紙と弁当とを見|出《いだ》して、一体それを何にするであろうかと思った。俺に、こんなに迷惑をかけながら、向うでは少しも得をしない、罪悪の中でもこうした罪悪が、結果的にはいちばん性質の悪いやつかも知れないと、譲吉は思った。
 本屋から貸してくれた原本を無くしたこと、それは少しの義理を欠けば済むことだが、自分の金儲けの希望を、それほど些細に、手軽にふいにしてしまったことが、彼には堪らなく不快であった。が、まだまるきり失望するには当らない。明日電気局へ行けば、都合よく届け出されてあるかも知れないと思った。
 が、翌日電気局へ行ってみたが、やっぱり無かった。念のために、警視庁の拾得係へ行ってみたが、やっぱり無かった。もう盗られたのに違いなかった。困っている俺にとっては、あんなに大切のものを、ほんの出来心に盗るやつがあるかと思うと、譲吉は何となく腹立たしかった。
 が、丸善にでもあれば、そう失望するには当らない。五円か六円かの金を、どうにか都合して買えばいいのだと思った。彼は、そう思いつくと、その足で丸善へ行ってみたが、やっぱり徒労であった。
「その本なら、去年あたり二、三部来ましたが、とっくに売り切れてしまいました。御注文なら、取り寄せます」と、いったが、その頃は戦争の影響で、英国から本を取り寄せるには、少なくとも三、四カ月、長ければ半年もの時間がかかった。そうした余裕がこの場合にあるわけはなかった。
 彼は丸善を出てから、また新しい希望を見出した。
「ああもしかしたら、古本屋にあるかも知れない」
 彼は、すぐ神田へ行った。そして、多くの古本屋をほとんど軒並に探してみた。が、あの金色《こんじき》の唐草模様はどこにも見出されなかった。本郷も同じことだった。彼は、足と目とをさんざんに疲らせて、その日の捜索をあきらめて、三田行の電車に乗った。また彼の頭には新しい希望が湧いた。
「ああ図書館にあるかも知れない」
 こんなに考えつきやすいことを、今まで考えつかなかった自分の迂遠さが、少しばからしくなった。彼は電車が内幸町へ来ると、急いで飛び降りて、日比谷の図書館へ行ってみた。が、そこのカタログには、幾度繰り直しても、見出されなかった。
「ああ上野、あそこが唯一のしかも最後の希望だ」彼はもう日が暮れかかっていたにもかかわらず、後へ引っ返した。あの鉄の三層の階段を、どんなに急いで駆け上ったか、そして、どんなにときめく心と険しい目付とをもって Fine Arts――Sculpture の項を、探ったことだろう。そこで、運よく本当に運よく Gardener――The Manuscript of Greek Sculpture という字を見出した時に、譲吉の心はどんなに嬉しかっただろう。
「ああ、やっと救われたな」と、思った。
 彼は、その翌日から毎日のように、上野の図書館へ通った。が、その仕事がどんなに退屈で不便であっただろう。自分が本を持っていた時には、朝起きた時のしばらくとか、床に就く前の二、三時間などに執る筆が、どんなに仕事を進捗せしめたことだろう。が、仕事の場所が制限され、従って時間が制限されることによって仕事は少しもはかどらなかった。と、同時に仕事そのものが、いよいよ苦しくなっていった。
 が、彼は根よく二、三カ月、毎日、その仕事をつづけていった。彼は、唯一の金儲けの方法として、その仕事を続けていった。その後、その書肆《しょし》が破産したために、本当は一文にもならなかった仕事を、一生懸命に熱心に続けていったのだった。
 彼は、大仏の前を動物園の方へと、道を取りながら、そんなことを取りとめもなく考えていた。その頃のみじめな自分のことを考えると、現在の自分の境遇が別人のように幸福に思われた。月々貰っていた五円の小遣いから、毎日の電車賃と、閲覧券の費用とを引いた残りで、時々食っていた図書館の中の売店の六銭のカツレツや三銭のさつま汁のことまで、頭の中に浮んだ。あの慎ましかった自分の心持を思うと、その頃の自分が、いとしく思わずにはおられなかった。
 昼でも蝙蝠《こうもり》が出そうな暗い食堂や、取りつく島もないように、冷淡に真面目に見える閲覧室の構造や、司書係たちのセピア色の事務服などが頭に浮んだ。その人たちの顔も、たいていは空《そら》で思い浮べることがあった。
「ああそうそう、あの下足番もいるなあ」と思った。あの下足番の爺《おやじ》、あいつのことは、時々思い出しておった、と思った。それは、譲吉が高等学校にいた頃から、
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