小説家たらんとする青年に与う
菊池寛
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)拵《こしら》えたい。
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十八|乃至《ないし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)満を持して放たない[#「満を持して放たない」に傍点]
−−
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵《こしら》えたい。全く、十七、十八|乃至《ないし》二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。
とにかく、どんなものでも、自分自身、独特の哲学といったものを持つことが必要だと思う。それが出来るまでは、小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎないと思う。だから、二十歳前後の青年が、小説を持って来て、「見てくれ」というものがあっても、実際、挨拶のしようがないのだ。で、とにかく、人生というものに対しての自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一であって、それより以上、注意することはない。小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う。
実際、小説を書く練習ということには、人生というものに対して、これをどんな風に見るかということ、――つまり、人生を見る眼を、段々はっきりさせてゆく、それが一番大切なのである。
吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四ヵ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上ってしまうが、それと同じく、小説を書く修業も、色々なことを考えたり、或は世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に向って書くのは、一番最後の半年か一年でいいと思う。
小説を書くということは、決して紙に向って筆を動かすことではない。吾々の平生《へいぜい》の生活が、それぞれ小説を書いているということになり、また、その中で、小説を作っているべき筈《はず》だ。どうもこの本末を顛倒《てんとう》している人が多くて困る。ちょっと一二年も、文学に親しむと、すぐもう、小説を書きたがる。しかし、それでは駄目だ。だから、小説を書くということは、紙に向って、筆を
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング