なっているような気がするの、何だか変ね。」
セエラがミンチン先生の塾に入ってから、二年目の冬でした。ある薄霧の日の午後、セエラが厚い天鵞絨や毛皮にくるまって馬車から降りると、みすぼらしい小娘が、地下室の入口に立っていました。少女は首を長くして、一生懸命にセエラを見ていました。セエラはおどおどしている少女にふと目を惹かれました。眼が合うとセエラはいつものように、にっこり笑いました。
が少女の方は、有名なセエラを竊《ぬす》み見たりしたら、きっと叱られるとでも思ったらしく、まるでびっくり函《ばこ》の中の人形のように、ひょこりと台所の中へ隠れてしまいました。ふいにひょこりと消えてなくなったので、セエラは危《あぶな》く笑い出すところでした。が、その少女はあまりみすぼらしく、あまり寂しそうなので、笑うことも出来ませんでした。その晩のことでした。セエラが教室でいつものお話をしているところへ、その少女は重そうな石炭函を持って、こそこそと入って来ました。少女は炉の前に跪き、火をおこしたり、灰をかき取ったりしていました。
少女はさっきよりはきちんとしていましたが、相変らずおどおどしていました。話を聞きに来たのだと思われてはならないとでも思っているらしく、音を立てないように手でそっと石炭を入れたり、火箸《ひばし》を動かしたり[#「たり」は底本では「たた」]していました。しかしセエラはすぐ、少女がセエラの話に気を取られていること、セエラの言葉を聞き洩すまいと、休み休み火をおこしていることなどを、見てとりましたので、セエラは声をはり上げては、はっきりと話しつづけました。
「人魚達は、真珠で編んだ綱を曳いて、青水晶のような水の中を静かに泳ぎ廻りました。お姫様は白い岩の上に坐って、それを見守っていらっしゃいました。」
それは、人魚の王子様に愛されたお姫様の面白いお話でした。姫は海の底の眩《まぶ》しいような洞穴の中に王子と住んでいたのでした。
少女は一度炉を掃き清めてしまうと、同じ事を二度も三度も繰り返しました。三度目の掃除が終ると、跪いていた踵《かかと》の上にぺたりと腰を落して、酔ったようにセエラの話に聞き入りました。彼女は、いつか海の底の立派な御殿に引きこまれていました。身の廻りには珍しい海草がなびき、遠くの方から美しい音楽が聞えて来るような気がしました。
箒が少女の荒れた手からことりと落ちました。ラヴィニアは少女の方へ振り向きました。
「あの娘《こ》、聞いてたのよ。」
とがめられた少女は、いきなり箒《ほうき》を取り上げ、石炭函を抱えて、怯えた野兎《のうさぎ》のようにそそくさ[#「そそくさ」に傍点]と出て行きました。
それを見ると、セエラはむらむらして来ました。
「私、あの娘が聞いているのを知っていたのよ、なぜ聞いてちゃアいけないの?」
ラヴィニアは大気取りで頭を振り上げました。
「そりゃア、あなたのお母さんは、女中にお話をしてやってもいいと仰しゃるかもしれませんさ。だけど、私のお母さんは、そんなことしちゃアいけないと仰しゃってよ。」
「私のお母さんですって?」セエラは吃驚《びっくり》したようにいいました。「ママはきっといけないなんて仰しゃらないと思うわ。ママは、お嬢さんであれ、女中であれ、誰であれ、同じようにお話を聞いていいとお思いになってるわ。」
「でも、あなたのママは、もうお亡くなりになったんでしょう。亡くなった方に、どうしてそんなことが解るの?」
「じゃア、ママにそれが解らな[#「らな」は底本では「なら」]いって仰しゃるの?」セエラは低い、きびしい声でいいました。すると、ロッティがそこへ口を出しました。
「セエラのママは、何でも知ってるのよ。あたいのママもよ。――ここでは、セエラがあたいのママだけど、もう一人のママには何でも解るのよ。往来はぴかぴか光っててどこもかしこも百合の原で、皆百合を摘んでるの。いつだったか、あたいが寝る時、セエラちゃんが話してくれたわ。」
「まア悪い人。」ラヴィニアは、セエラの方に向き直っていいました。「天国のことを、お伽噺にして話すなんて。」
「でも、聖書の黙示録《もくじろく》の中には、もっと素敵なことが書いてあってよ。ちょっと開けて読んで御覧なさい。私のお話がお伽噺だか、お伽噺でないか、どうして解るの? もう少しお友達に対して親切な心持を持ってごらんなさい。そうすれば、私のお話がお伽噺じゃないことも解るでしょう。さ、ロッティ向うへ行きましょう。」
セエラはロッティと伴れ立って歩いて行く間も、そこらを見廻してみましたが、あの小娘はどこにも姿を見せませんでした。
その晩、セエラは女中のマリエットに、
「あの火をおこしに来る子は、何ていうの?」
と訊ねてみました。マリエットは、その子についていろいろのこ
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