備へてゐるから、追従負《つゐしようまけ》などはしないと信じていゝと思ふ。たゞ、玄人と指す場合、最初の一回は、玄人は自然に指してゐるのである。だから、最初の一回は勝ち易い。しかし、一度負けると玄人は、今度は負けまいと指すであらう。だから、玄人に二度続けて勝つた場合は、たしかに勝つたと信じていゝのであらう。二度つゞけて負けると、三度目には、玄人はきつと定跡を避けて力将棋を挑んで来るが、この三度目を負すと圧倒的に勝つたと云つてよいだらう。
 初段に二枚以上の連中の人達では、一枚位違つてゐても、平手で相当指せるものである。四五番の中では、下手の方が一二番は勝てるものである。だから、一枚位違つてゐても、いつも平手を指してゐる人があるが、しかしそれでは上手の方はつまらないと思ふ。少しでも力が違つてゐる場合は、ちやんと駒を引いて指すべきだ。でないと上手の方がつまらないと思ふ。
 玄人と素人との棋力を格段に違つてゐるやうに云ふ人がある。素人の初段は、玄人の初段とは二三段違ふと云ふのである。しかし、自分は思ふに玄人と素人との力の違ひは、たゞ気持の問題で、一方は将棋が生活のよすがであり、その勝敗が生計に関し、立身に関すると考へるからだと思ふ。素人だつて、玄人同然の必死の気持で研究し対局したならば、さう見劣りするものではないと思ふ。
 将棋を指すときは、怒つてはならない、ひるんではいけない、あせつてはいけない。あんまり勝たんとしてはいけない。自分の棋力だけのものは、必ず現すと云ふ覚悟で、悠々として盤面に向ふべきである。そして、たとひ悪手があつても狼狽してはいけない。どんなに悪くてもなるべく、敵に手数をかけさすべく奮闘すべきである。そのうちには、どんな敗局にも勝機が勃々《ぼつ/\》と動いて来ることがあるのである。初心者の中には飛車を取られると、「えつやつちまへ!」と云つて、角までやつてしまふやうなことを絶えずやつてゐるやうな人がある。
「将棋は、先《せん》を争ふものである」と云ふことを悟つて上手《じやうず》になつた人がゐるが、先手先手と指すことは常に大切なことである。それから、お手伝ひをしないこと、例へば敵が歩を打つて来ると、これを義理のやうに払つて、敵銀を進ませてやると云ふやうなことを初心の中《うち》は絶えずやつてゐるが、このお手伝ひをやらなくなれば、将棋は可なり進歩してゐると云つてもよいだらう。



底本:「日本の名随筆 別巻8 将棋」作品社
   1991(平成3)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「菊池寛全集 第一四巻」中央公論社
   1938(昭和13)年6月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年3月20日作成
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