分はどうしたのかしら、と思つて居た。最初石が当つたとは思はなかつた。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。するとひぢを張つたやうに、傾斜にたへて前へついてゐた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめつてしまつた。尾は全く石へついた。もう動かない。いもりは死んで了《しま》つた。自分は飛んだ事をしたと思つた。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了つたのは自分に妙ないやな気をさした。」
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 殺されたいもりと、いもりを殺した心持とが、完璧と言っても偽ではない程本当に表現されている。客観と主観とが、少しも混乱しないで、両方とも、何処までも本当に表現されている。何の文句一つも抜いてはならない。また如何なる文句を加えても蛇足になるような完全した表現である。この表現を見ても分る事だが、志賀氏の物の観照は、如何にも正確で、澄み切っていると思う。この澄み切った観照は志賀氏が真のリアリストである一つの有力な証拠だが、氏はこの観照を如何なる悲しみの時にも、欣《よろこ》びの時にも、必死の場合にも、眩《くら》まされはしないようである。これは誰かが
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