おほせて、二十九日敵陣へ無二無三に切入り給はんには、味方の勝利疑ひ有るべからず。仮令《たとえ》ば敵方にて此方《このほう》の色を察し出向はゞ、その処にて合戦すべし、何のこはきことが候ふべき。喜右衛門に於ては必定信長を撃捕るか討死仕るか二つの道を出で候ふまじと思定め候、早早御出陣然るべしと申すにより、久政も此程遠藤が申すことを一度も用ひずして宜敷事《よろしきこと》無りしかば、此度|許《ばか》りは喜右衛門|尉《じょう》が申す旨に同心ありて、然らば朝倉殿には織田と遠州勢と二手の内|何方《いずかた》へ向はせ給ふべきかと申せしにより、孫三郎何れへなり共罷向ひ申すべくとありしかば、長政いや/\某が当の敵は信長なり、依て某信長に向ひ候ふべし。朝倉殿には遠州勢を防ぎ給はり候ふべしと定めて陣替の仕度をぞ急がれける。遠藤喜右衛門尉は、兼て軍のあらん時敵陣へ紛れ入り、信長を窺《うかが》ひ撃たんと思ひしかば、朋輩の勇士に談《かた》らひ合せけるは、面々明日の軍に打込の軍せんと思ふべからず、偏《ひとえ》に敵陣へ忍び入らんことを心掛くべし。然しながら敵陣へ忍び入り、冥加有て信長を刺し有るとも敵陣を遁《のが》れ帰らんことは難かるべし。然らば今宵限りの参会なり、又此世の名残りなりと酒宴してけるを、諸士は偏へに老武者が壮士《わかもの》を励ます為の繰言とのみ思ひて、何《いずれ》も遠藤殿の仰せらるる迄もなし、我々も明日の軍に討死して、栄名を後世に伝ふべきにて候ふと答へしかば、喜右衛門尉も悦び、左様にてこそ誠の忠臣の道なれ、はや暁も程近し、面々用意にかゝらせ給へとて、思ひ/\に別れけり。
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 かくの如く遠藤の決死は頗《すこぶ》る悲壮であるが、彼は、長政が初めて佐和山に於て信長と対面したとき、信長の到底頼むべからざるを察し、急に襲って討たんことを提議し、長政の容るるところとならなかった事がある。また、今度《このたび》長政が信長と絶縁せんとするや、到底信長に敵しがたきを知って極力|諫止《かんし》せんとした。しかも、いよいよ手切れとなるや、単身敵陣に潜入して、信長を討たんことを決心す。実に、浅井家無二の忠臣と云うべきであろう。
 しかし、今度の戦い、浅井家に取って必死の合戦なりと思い決死の覚後をした者、他にもいろいろ、その中にも、最もあわれなるは浅井|雅楽助《うたのすけ》である。雅楽助の弟を
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