二也」と放言して、官軍に加ったことが『太平記』に見える。其の真疑はとにかく、先ず普通の地方武士など大体こんな調子であろう。伝うる所によれば、諸国から恩賞を請うて入洛し、万里小路《までのこうじ》坊門の恩賞局に殺到する武士の数は、引きも切らなかったと言う。だから充分なる恩賞に均霑《きんてん》し得ない場合、彼等の間に、不平不満の声の起きるのは当然である。
 或日、塩谷《えんや》判官高貞が良馬竜馬を禁裡に献上したことがあった。天皇は之を御覧じて、異朝は知らず我が国に、かかる俊馬の在るを聞かぬ、其の吉凶|如何《いかに》と尋ねられた。側近の者皆|宝祚《ほうそ》長久の嘉瑞《かずい》なりと奉答したが、只万里小路藤房は、政道正しからざるに依り、房星の精、化して竜馬となり人心を動揺せしめるのだと云って、時弊を痛論した。即ち元弘の乱に官軍に加った武士は、元来勲功の賞に与《あずか》らん為のみであるから、乱後には忽ち幾千万の人々が恩賞を競望して居る。然るに公家《くげ》一味の者の外は、空しく恩賞の不公正を恨み、本国に帰って行く。かかる際にも不拘《かかわらず》、大内裏の造営は企劃され、諸国の地頭に二十分の一の得分をその費用として割当てて居る。其上、朝令暮改、綸旨《りんし》は掌《たなごころ》を飜す有様である。今若し武家の棟梁《とうりょう》たる可き者が現れたら、恨を含み、政道を猜《そね》むの士は招かざるに応ずるであろう。夫れ天馬は大逆不慮の際、急を遠国に報ずる為め聊《いささ》か用うるに足る丈である。だから竜馬は決して平和の象徴ではない、と云うのだ。
 それが、『太平記』の有名な竜馬|諫奏《かんそう》の一挿話である。元来太平記は文飾多く、史書として其の価値を疑われ、古来多くの学者から排撃されて居る。併し藤房をして中興政治の禍根を指摘させて居る所など、『太平記』著者の史眼は烱々《けいけい》として、其の論旨は肯綮《こうけい》に当って居ると思う。
 思うに尊氏はその所謂棟梁である。門閥に於ては源氏の正統であり、北条氏でさえ之と婚姻を結ぶのを名誉と考えた程の名家である。何時頃から此の不平武士の棟梁としての自分を意識したか知らないが、六波羅滅亡後、一時京都が混乱に陥った時、早速奉行所を置いて時局を収拾した芸当など、実に鮮かなものである。一見極めて矛盾した様な性格らしく、それだけに政治家としては、陰翳《いんえい》が多い訳だ。
 だから誇張されれば、いくらでも悪人になり得る。直木三十五は「尊氏は成功した西郷隆盛である」と評して居るが、人物としては相当なものである。中島商相位に賞められてもいいのであるが、前にも云った如く、人間として純粋無比な楠公父子を相手にしなければならなかった所に、彼の最大の不幸があると思う。恐らく勝利の悲哀を此の男程痛切に味った者は、国史には尠《すくな》いのではなかろうか。

       正成と正行

 楠氏は元来橘氏の出である。勿論其の由緒に就ては詳しいことは何も分らない。当時、河内の東条川に拠った一小豪族に遇ぎないのだ。
 恐らく挙兵前の大楠公は、地方によく有る好学の精神家であり、戦術家であったろうと思う。
 足利、新田の如く源家嫡流の名家でもないし、菊池、名和の如く北条氏に対して百年の怨讐《おんしゅう》を含んでいたわけでもない。亦皇室から特別の御恩を戴いたこともないだろう。然るに渺《びょう》たる河内の一郷士正成が敢然立って義旗を翻すに至った動機には、実に純粋なものがあるのだ。学者の研究に依ると、正成は宋学の造詣《ぞうけい》が相当深かった様だ。宋学の根本思想の一つは忠孝説である。つまり学問的に正成は忠義の何物たるかを熟知して居たのだから迷わないのだ。最初から、功利的忠義ではないのだ。尚、宋学は当時後醍醐天皇初め南朝公家の間に盛に行われて居たから、正成は天皇と同系統の学問をして居たことになる。南柯《なんか》の夢で正成を笠置に召し出したのが奉公の最初であるとする、『太平記』の説はさて措《お》き、早くからこの君臣の間に、ある関係があったことは想像出来る。正中の変前に、日野俊基が山伏姿で湯治と称し、大和、河内に赴いたことは、『増鏡』や『太平記』に立派に記《しる》してあるが、恐らくこんな時、楠氏と朝廷とが結ばれたのかも知れない。或はもっと早く、学問上の関係から、天皇と正成は相共鳴する所があったのではあるまいか。
 とにかく正成は出発点からして、他の多くの諸将と違って居る。つまり学問上の信念を純粋に実践に依って生かして居るからだ。『太平記』の記者などは、所きらわず正成を褒め倒して居るが、これなども戦記作者を通じて、当時一般の輿望《よぼう》が現われているのである。
 或日、武将達が集って、建武中興で一番手柄のあった者は誰だろうと議論があった。各々我田引水の手柄話に
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