えて喜んだと云う。可なり嬉しかったんだろう。それだけに此の悲報は南朝にとっては大打撃であった。為に後村上天皇は難を賀名生《あのう》に避けられ、吉野の行宮は師直の放火によって炎上し、南朝の頽勢は既に如何ともし難い。
恐らく正史に於ける正行の活動は数年に過ぎない。亦正成にしても、大体そんなとこである。それで今日までその純忠を謳《うた》われるのであるから、人間としてもまずこれ程立派な父子は、日本史中古今稀である。その正成父子に対する崇拝が反尊氏思想となり、日本一の不忠者のように云われ、六百年の後まで、中島商相にまで祟《たた》るのである。然し、当時正成の策戦を妨害して、正成に湊川で無理な軍をさせ、事を誤った公卿の子孫である、貴族院の子爵議員などが、今更尊氏の攻撃をするのはおかしい。
底本:「日本合戦譚」文春文庫、文藝春秋社
1987(昭和62)年2月10日第1刷
※底本は、物を数える際に用いる「ヶ」(区点番号5−86)(「十数ヶ国」)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:網迫、大野晋、Juki
校正:土屋隆
2009年11月13日作成
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