都の饅頭屋《まんじゅうや》塩瀬三左衛門と云うものも伺候したが、光秀が献上の粽《ちまき》を、笹をとらずに食ったのでびっくりし、これでは、戦争は敗だと思ったと云う。「※[#「くさかんむり/皎のつくり」、第3水準1−90−79]粽《こうそう》手に在り」云々の詩がある所以だ。塩瀬と云う菓子屋は、その頃からあったものであるらしい。だが砂糖はやっと当時伝来したものだから、現在のようなおいしい饅頭があったかどうか疑問である。その頃、砂糖入りの菓子を南蛮菓子と云った。今の洋菓子と云うのと同じである。
光秀は、神経質な武将だけに、小胆であろうから、そんな事があったのかも知れない。死ぬ時辞世がある。
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|順逆無[#二]二門[#一]《じゅんぎゃくにもんなく》
五十五年夢《ごじゅうごねんのゆめ》
|大道徹[#二]心源[#一]《たいどうしんげんにてっす》
|覚来帰[#二]一心[#一]《さめきたればいっしんにきす》
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多分後世の仮作であろうが、光秀も死ぬまで順逆を気にしていただろう。戦争が済んだ時、三七信孝は中川瀬兵衛に近寄って、その戦功をねぎらったが、秀吉は輿《
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