今こそ、死ぬべき時だと思った。味方は、ライ麦の畑を踏み荒しながら、散開した。がそれと同時に唸りながら飛んできた榴弾が、彼らの頭上に続けざま十二、三回破裂して、彼らの三分の一を奪ってしまった。
大隊に付属している三門の機関銃が、敵に対して、弱い、しかしながら緊張した反抗を始めたのであった。
が、十門に近い敵の野砲は、やすやすとその鏖殺《おうさつ》事業をやっている。六百メートルという近距離の射程では、地面を這う昆虫をさえ逃さなかった。
榴弾が破裂するごとに、二、三十人の兵卒を砕いた。一町にも足りない散兵線は、十分と立たぬ間にまばらになった。大隊長が、まず倒れた。三人の中隊長のうち、一人は戦死し、二人は傷ついた。
イワノウィッチは、いちばん左翼にいて、機関銃隊を指揮していた。敵の砲弾は一渡り戦列を荒すと、機関銃隊を最後の目標とした。操縦者がみるみるうちに倒れた。イワノウィッチは、敢然として、自ら機関銃の操射に当ったのである。
彼は、今日こそ自分の生命をいちばん高価に売ろうと考えた。彼は自分で銃弾を運び、自分で装填《そうてん》し、自分で狙った。見ると、味方の戦線からは銃声がほとんど絶えてしまった。ただ自分が操っている機関銃のみが反抗の悲鳴を続けているのであった。砲弾が、続けざまに彼の身辺で破裂した。
が、彼はもう気が上った人間のように、機関銃の引金を夢中で引いていた。この時には上官を殺した悔恨も、国家に対する忠節も、なんにもなかった。ただ、熱狂せる戦いがあった。ただ狂猛なる発作があった。敵の砲弾がしばらく途絶えたかと思うと、激しい空気が彼を襲ったと思う間もなく、大音響と共に、彼は大地に投げつけられて昏倒したのである。
が、その時、味方の危急を知って駆けつけた露軍の野砲隊が応戦の砲火を開いた。左の腕を切断され、右の大腿《ふともも》を砕かれ、死人のごとく横たわっているイワノウィッチの上で、露独の烈しい砲火が交《か》わされたのであった。
六
野戦病院の寝台の上で蘇生をしたイワノウィッチは、激しい熱病から覚めた人間のように、清霊《せいれい》な、静かな心持を持っていた。
彼には、なんらの悔恨もなかった。なんらの興奮もなかった。彼が歓楽の瞬間も、罪悪の瞬間も、戦線で奮闘した瞬間も、すべてがなんの感情も伴わずに、単なる事実として思い出された。もう
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