。彼は何気なくその墨で黒ずんでいる紋を見つめていた。それは、ほとんど消えかかっているけれども、丸の内に二つの鎌が並んでいるという珍しい紋だった。
 惟念の全身の血が急に湧き立った。二つの鎌が並んでいる紋、それは彼が過去十六年の仇討の旅の間、夢にも忘れなかった仇敵の紋である。父の敵は、召し抱えられてから間もない新参であったため、部屋住みだった彼は、ただ一、二度顔を合わしただけである。その淡い記憶が、幾年と経つうちに薄れてしまって、他人からきいた人相だけが、唯一の手がかりであった。その中でも、敵の珍しい紋所と、父が敵の右|顎《あご》に与えてあるはずの無念の傷跡とが、目ぼしい証拠として、彼の念頭を離れなかった。彼は先に行く武士《さむらい》、擦れ違う武士《さむらい》、宿り合わした武士《さむらい》、そうした人々の紋所を、血走った目で幾度か睨んだことだろう。
 惟念は担いでいる薪束を放り出して、老僧の首筋を、ぐいと掴んで、その顔を振り向けたい気がした。彼は右の顎を見たかったのである。十六年の苦しい旅の朝夕に、敵に対して懐いた呪詛と憎悪とが、むくむくと蘇ってきた。が、すぐに彼に反省の心が動いた。一旦、瞋恚の心を捨てて弁道の道にいそしんでいる者が、敵の紋所を見たからといって、心をみだすべきではない。それは捨て去ったはずの煩悩に囚われることである。まして、広い日本国中に、二つない紋所とは限っていない。故郷の松江でこそ珍しい紋所でも、他国へ行けば、数多い紋所であるかもわからない。実際、江戸の町住居《まちずまい》をしたとき、通りがかりの若衆が同じ定紋を付けているのを見て、すわや敵の縁者とばかり、後をつけて行って、彼が敵とは縁も由縁《ゆかり》もない、旗本の三男であることを、突き止めたことさえある。おそらくこの老僧も、かの若衆と同じ場合であろう。十六年の間、もがき苦しんでも邂逅《かいこう》し得えなかった敵に、得度した後に、悟道の妨げになるようにと偶然会わせるほど、天道は無慈悲なものではあるまい。もしまたそれが正真の敵であったとして、自分はどうしようというのだ。僧形になっている身で、人を殺すことはできない。一旦、還俗《げんぞく》した後、僧形になっている敵を討ってめでたく帰参しようというのか。おめおめと敵を討ち得ないで出家した者が、敵が見つかったからといって、還俗することは、そのこと自身において
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