に、耳もかそうとはしないので、同志を募って、京洛に出でて、華々しい運動を起すというようなことはできなかった。
が、せめてこうした大切な時に、一藩の向背《こうはい》だけは誤らせたくないという憂国の志は、持っていた。それが、今日の城中の会議で、とうとう藩論は、主戦に決してしまったのである。これでは、正《まさ》しく朝敵である。
しかも、藩兵は、一手は金刀比羅街道の一宮へ、一手は丸亀街道の国分へ向けて、明朝辰の刻に出発しようとしているのである。
同憂の士は、期せずして小泉の家に集った。山田甚之助、久保三之丞、吉川隼人、幸田八五郎、その他みな二十から三十までの若者であった。多くは軽輩の士であったが、天野新一郎だけは、八百石取の家老天野左衛門の嫡子であり、一党の中では、いちばん身分が高かった。
天野新一郎は、少年時代から学問好きで、頼山陽の詩文を愛読しているために、その勤王思想の影響を受け、天朝の尊むべく幕府の倒すべきを痛感している今年二十五歳の青年武士であった。
小姓頭に取り立てられて、今日の重臣会議の末座にもいたのである。
「それで、成田頼母の俗論が、とうとう勝利を占めたというのか」
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