して……」
「世話はするが、婚礼はしないというのか」
「はあ」
 伊織は、少し呆れて、新一郎の顔をまじまじと見ていたが、
「貴公も少し変人だな。じゃ、家人同様に面倒は見てくれるのだな」
「はあ、それだけは喜んで……」
「そうか。じゃ、とにかくあの姉弟をこの家へ寄越そう。そのうち、そばに置いてみて、お八重殿が気に入ったら、改めて女房にしてくれるだろうなあ」
 新一郎は、少し考えたが、
「そうなるかもしれませぬ」と、眩くようにいった。

          五

 お八重と万之助が、新一郎の家に来たのは、それから四、五日後であった。
 お八重は、新一郎の妻ではなかったが、自然一家の主婦のようになった。
 新一郎の身の回りの世話もしたし、寝床の上げ下ろしもした。
 新一郎も、お八重を妻のように尊敬もし、愛しもした。駿河町の三井呉服店で、衣装も一式調えてやったし、日本橋小伝馬町の金稜堂で、櫛、笄《こうがい》、帯止めなどの高価なものも買ってきた。
 が、新一郎の居間で、二人きりになっても、新一郎は指一つ触れようとはしなかった。
 お八重が来てから、二月ばかり経った頃だった。その日、宴会があって、新一郎は、十一時近く微酔を帯びて帰って来た。お八重は、新一郎をまめまめしく介抱し、寝間着に着かえさせて、床に就かせた。
 が、新一郎が床に就いた後も、お八重は、いつになく部屋から出て行こうとはしなかった。
 蒲団の裾のところに、いつまでも座っていた。
 新一郎は、それが気になったので、
「お八重殿、お引き取りになりませぬか」と、言葉をかけた。
 とお八重は、それがきっかけになったように、しくしくと泣き始めた。何故、お八重が泣くか、その理由があまりにはっきり分かっているので、新一郎も、急に心が乱れ、堪えがたい悩ましさに襲われた。
 いっそ、すべてを忘れて、そのかぼそい身体を抱き寄せてやった方が、彼女も自分も幸福になるのではないかと思ったが、しかし新一郎の鋭い良心が、それを許さなかった。私利私欲のために殺したのではないが、親の敵には違いない。しかも、それを秘して、その娘と契りを結ぶことなどは、男子のなすべきことでないという気持が、彼の愛欲をぐっと抑えつけてしまうのである。
 彼は、しばらくはお八重の泣くのにまかせていたが、やがて静かに言葉をかけた。
「お八重殿、そなたの気持は、拙者にもよく
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